★[ドキュメンタリー]幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリーの感想(File-010:徹底追究 アメリカUFO神話に迫る!)/ 前編

2015年11月4日ドキュメンタリー, 感想, 番組

● NHKの意気込みを感じるUFO特集。昔も放送したかったんだろうなぁ。今回はボリュームが多いので前編、後編の2回に分けてのアップです。



 

◆ 徹底追究 アメリカUFO神話に迫る!

● UFOの90分スペシャル! なにか新事実は出るかな?

【 データ 】
● No.:File-010
● 初放映:2014年08月16日
● インタビュー:ユタ大学 ロバート・ゴールドバーグ教授
● ゲスト:科学ジャーナリスト 皆神龍太郎
● ゲスト:
● ゲスト:

【 番組内容&感想 】
● 黒千明のイントロ。グレイタイプの説明、銀河系にある10000億の星、ここ七十年の目撃例。「地球は狙われている!」
ここから矢島正則(カーク船長)のナレーション、あのジングル、あのテロップ。
キタ━━☆゚・*:。.:(゚∀゚)゚・*:..:☆━━━!! 日テレの木曜スペシャルの再現です。
 
●「全長3m!巨大毒ガスモンスター フラットウッズ事件」

[事件]1952年09月12日夕刻。少年達が目撃したUFOは近くの丘へ。話を聞いた少年達の母、キャスリーン・メイは少年ら6人と共に現場へ。近づくとそこには霧のようなものが立ち込め、目と鼻を刺激する異臭が、そして木立の奥に赤い光。そこにいたのは身長3m、ロボットのような巨大モンスター。シューという音を立て浮かんでいる。赤い顔にオレンジの光る目。爪をたて、少年たちに襲い掛かかってきた。慌てて逃げ出したが、街に戻るなり気絶、しばらく体調が悪かったという。
[番組の検証]フクロウの見間違え。近くの空港の赤い照明がその顔に反射していたのではと思われる。
[感想]再現VTRの出来がいいです。あまりお金をかけず、雰囲気まで再現。それに比べる検証結果のしょぼさ。現実はどっちなんだろう? 再現VTRは山奥だったけど、空港の赤い光ってそんな先まで届くのだろうか?

●「恐怖!不死身の怪人、ホプキンスビル事件」
[事件]1955年8月21日午後7時半ごろ、ケンタッキー州ホプキンスビル。農場で働く青年ビリー・テイターは謎の飛行物体が近くの谷に落ちるのを目撃する。その一時間後、友人エルマー・サットンと家にいたビリーは、けたたましく吼える犬に驚き、銃を持って外に出た。するとそこには、銀色に光る体、大きな目と耳、身長が1mほどで長い腕と鋭い鉤爪をもつ怪物がこちらに向ってこようとしていた。
発砲すると怪物はひらりと弾を身をかわし、大きく飛び跳ね逃げていった。その後も怪物は何度もビリー達の前に現れた。浴びせた銃弾は200発、しかしまったく効かず、朝になってようやく姿を消した。


襲撃イメージ

リトル・グリーン・メン

 
[番組の検証]猿などの動物の見間違え。また銃弾が残っておらず、近所でも銃声を聞いたものがいないため、酒に酔ってただけと思われる。
[感想]なんだそれは・・・。という検証でしたが、追加で調べるとまったくその通りのもよう。
(^^;これがニュースになるんだから、平和だったんだろうなぁ。番組では目撃者は2人、それも紳士っぽいけど、実際は普段から大勢で飲んで大騒ぎする評判の悪い人たちだったらしい。イラストは巧いなぁ、小松崎茂の平成版?

● ほかに警察署長が目撃し、猛省させられた「写真に撮られた宇宙人」。カニの手の宇宙人に誘拐、検査された「誘拐する宇宙人」の話。イタリアに現れた陽気な宇宙人、イギリスの妖精型宇宙人、ソビエトのロボット型宇宙人が紹介された。ここでナレータが解説者に突っ込み。「検証と言っていながら、どれも真相が明らかになっていないよ」、ごもっとも。さらに白千明の突っ込み。そもそも宇宙人は何をしにやってきてるの?一度きりしか遭遇してないし、見てる人も少人数。客観的な事実とは認めがたい。・・・千明ちゃん、それを言っちゃ~おしまいだよ。
(==;


チェンニーナ事件

パスガグーラの宇宙人

 
● ここからUFOの目撃史。1950年代には年に1500件もあったというUFOの目撃情報。それらはひとつの事件から始まったとつなげます。
「ケネス・アーノルド事件」
第二次世界大戦終結。勝利に沸くアメリカ。平和を謳歌する1947年6月24日、アメリカ北西部ワシントン州、実業家ケネス・アーノルドが自家用飛行機で移動中の午後3時ごろ。明るく輝く9つの飛行物体が猛スピードで飛んでいるのを発見。打って変わって再現されたUFOがしょぼい。これは手で動かしているなぁ。


実業家ケネス・アーノルド

キャッチーなネーミング

 
空港に着いたアーノルドがその話を空港関係者にすると新聞記者が集まってきた。「音速を超えるスピードで、コーヒーカップの受け皿を水面に投げたときのように、スキップしながら飛んでいた」
この発言を聞いたある新聞社が記事の見出しに「Flying Saucers」(空飛ぶ受け皿)とつけたことが大きな出来事に発展する。それまでも謎の飛行物体は全世界で目撃されていた。大きな羽を持つ謎の飛行船(19世紀アメリカ)、第二次世界大戦中に目撃されたフーファイター(国を問わず多くのパイロットが目撃)、ロサンゼルスに現れた謎の飛行物体。それら正体不明の飛行物体にフライングソーサーと名前が付いた途端、アメリカ各地で爆発的に目撃情報が発生しはじめる。確かに名前が付くとそれに対する人の意識は変わるものです。
ユタ大学のロバート・ゴールドバーグ教授によると、空飛ぶ円盤というのはとてもキャッチーなネーミングで、大衆受けしたといいます。
なるほど。でも、教授。出演はこの一言だけ?
当時の人たちはUFOの招待を空想、見間違い、嘘のほか、アメリカやロシアの秘密兵器と思っていたらしい。「宇宙人の乗り物」という発想はまだない。

● 「マンテル大尉事件」
1947年1月、ケンタッキー州。ケンタッキー州空軍 トーマス・マンテル大尉がUFOの目撃連絡に戦闘機P-51でスクランブル。しかし交信が途絶え、墜落した残骸として発見された。空軍はマンテル大尉が気球か金星を追い上昇、高高度により酸欠で気絶、機体が分解墜落したと発表した。しかし世間はそれをUFOよる撃墜と認識します。「日付や時刻、名前やスピードなど、詳細な情報がはっきりしていたからだ」とゴールドバーグ教授。よかった、また出てきた。詳細な情報がはっきりしているので、推理小説な謎解き要素が加わったとのこと。ちょっと意味がわからない。空軍はUFOに歯が立たないので、真実を隠しているとの推理。これはわかりやすい。


トーマス・マンテル大尉

戦闘機P-51

 
● ここで新たな人物が登場。作家ドナルド・キーホー。元海兵隊員。1947年、娯楽情報雑誌「トゥルー」の編集者ケン・パディーから執筆の依頼を受け「空飛ぶ円盤は実在する」を書き上げる。空飛ぶ円盤は他の星から地球人を観測にきたものと言い切った。UFOには人が乗る円盤型、翼のない飛行船形、小型の無人偵察機があると分類。目的毎に使い分けていると推測。アメリカでもっとも目撃される理由は、最も文明が進んだこの国に観測者達は最初のコンタクトを持ちたがっているとした。つじつまの合う話として、本は民衆に受け入れられた。
しかし、ゴールドバーグ教授はこの本には読者を誤った方向に導いているといいます。軍の関係者、技術者、大学の証言を使ってますが、その名は明かしていない。都合のいい情報を組み立て、もっともらしく見せていると。なんだキーホーは詐欺師なのか。全面的に信じた人は少ないと思うけど。キーホーの映像も登場。真剣に主張しているなぁ。


 
● 白千明と皆神龍太郎さんの対談。名前が付くことの重要性から。ツチノコにしろ、ネッシーに名前があるからみんなから呼んでもらえるとのこと。それが親しみやすいことは重要だと皆神さんはいう。
たしかにそうだ。Googleインターネット時代では特にそう、名前付いていて、名前がわかってしまえば、すぐ検索。だいたいのことがわかってしまいます。逆に名前を知られることが命取りになることも。個人情報は大切です。
● 空飛ぶ円盤は実は飛び方を指していたことについて。でもそんな飛び方をしているUFOって珍しい気がするけど。

後半へつづく。

 


 
【 追加調査 】木曜スペシャル
● 日本テレビ系列で1973年4月5日から1994年3月31日にかけて木曜日に放送された単発特別番組枠。
● 1973年4月、読売ジャイアンツ戦ナイター中継の対応枠として誕生。
● 1974年にはユリ・ゲラーの特番を放送。スプーン曲げなどで視聴者を驚かせ、社会現象となった。
● 歴代視聴率トップは、ガッツ石松のWBC世界ライト級タイトルマッチプロボクシング中継である。

<放送された主な番組>
● 元祖どっきりカメラ
● 引田天功脱出シリーズ
● 謎の怪奇人間オリバー!
● アメリカ横断ウルトラクイズ
● プロボクシング中継
● 爆笑!プロ野球珍プレー好プレー
● 矢追純一UFOシリーズ
● Mr.マリック超魔術シリーズ
● 欽ちゃんの爆笑仮装コンテスト!
● 鳥人間コンテスト選手権大会
● NTVハプニング大賞
● タモリのいたずら大全集
● 今夜復活・紅白歌のベストテン

 
【 追加調査 】フラットウッズ事件


キャスリーン・メイ

目撃者たち

● フラットウッズはアメリカ、ウエストバージニア州ブラクストン郡にある人口300人程の小さな町。
● 赤く輝く飛行物体の目撃者はエドワード(13歳)とフレッド(12歳)のメイ兄弟、その友人のトミー・ヘイヤー(10歳)の3人。母親のキャスリーン・メイ(32歳)。そして地元の少年ニール・ナンリー(14歳)、ロニー・シェーヴァー(10歳)、近くにいた州兵のユージーン・J・レモン(17歳)ら3人、レモンの愛犬の合わせ7人と1匹が丘へ上り、モンスターを目撃している。
● キャサリン・メイは美容師。


現在の現場の様子

モンスターの現れた木

 
● 家に戻ったメイ婦人は保安官(ロバート・カー)と地元紙『ブラクストン・デモクラット』(A.リー・スチュワート)に電話。スチュワートは少年らにインタビューを行い、深夜に現場に向ったが、悪臭とスキーで滑ったように倒された草が残されているだけだった。
翌朝、スチュワートは現場に泥の中に2本の轍と黒い液体の跡を発見し、これを空飛ぶ円盤が着陸した証拠と報じたが、それは事件を聞きつけたマックス・ロッカードが、愛車の1942年型シボレー・ピックアップトラックに乗りつけた跡だった。
● 事件はワシントンUFO事件のすぐ後だったため、全米中の注目を集めた。
● レモンの愛犬はモンスターを見た2日後死亡している。
● 事件の1週間後の9月19日には、ニューヨークのテレビショー「We The People」の番組内でUFO特集が組まれ、メイ夫人も出演。番組スタッフによって、有名なフラットウッズ・モンスターの想像図が作成された。
● 事件1週間前に、ウエストンに住むある婦人とその21歳の娘が同様の悪臭を放つ怪物に遭遇していたらしい。

【追加調査】ホプキンスビル事件
● 当時800mほど離れた家に住んでいたマッコード氏の証言
UFOも見なかったし、銃声も聞こえなかった。朝起きるとサットン家が騒がしかったので、ようやく事件のことを知った。普段から酒ばかり飲んでいる連中で、近所の評判も悪かった。話は信じられないし、ウソだと思う。
● 当時州保安官だったファーガソン氏の証言
本人達は200発もの銃を撃ったと言っていたが、現場には弾痕も薬莢もなく、網戸の穴も散弾銃で撃って空いたものには見えなかった。目撃者達も普段から酒に酔っているような人達で、近所の評判も悪かった。当日も酒を飲んでいたが、警察に来た時は酔いが冷めていたと思われる。怪物のスケッチは目撃者の証言をもとに書いたものだからいい加減なもの。
 


友人エルマー・サットン(中央)

【追加調査】マンテル大尉事件の疑惑
● 葬儀が行われたが死体が無いままだった。
● 死体は高熱で焼けただれバーベキューのような状態だった。
● P-51ムスタングの機体は高い熱で焼かれ溶けかかっていた。
● マンテル大尉は経験豊富なのに天体と飛行物体を見間違うのは不自然。
● プロジェクト・サインは、金星をUFOと見間違えたと発表したが、昼間に肉眼で金星を見るのは難しいとの指摘に、一年後撤回した。
● プロジェクト・ブルーブックは、海軍が極秘実験のために飛ばしていたスカイフック気球を見間違えたと発表、現在はこの説が一番有力しされている。・・・なぜ番組は取り上げなかったんだろう?


ミサイル実験艦ノートン・サウンド
より放たれるスカイフック気球

 
【追加調査】ドナルド・キーホー
● ドナルド・キーホー(Donald Edward Keyhoe、1897年6月20日 – 1988年11月29日)は、アメリカ合衆国アイオワ州オタムワ(Ottumwa)生まれの元アメリカ海兵隊少佐、作家、ジャーナリスト、UFO研究家。
● 海軍プレップスクール(NAPS)で1919年にB.S.(理学士)の学位を取得。アメリカ海兵隊の中尉として勤務。
1922年、グアムにおける飛行機の墜落事故で腕を負傷。治療中に小説を書き始める。その後、後遺症から1923年に除隊。測量局や商務省に勤務。
● キーホーの記事「空飛ぶ円盤は実在する(Flying Saucers Are Real)」は、1949年12月26日に発売された『トゥルー』誌1950年1月号に掲載され、一大センセーションを引き起こす。また1950年に出版されたペーパーバック版『空飛ぶ円盤は実在する(The Flying Saucers are Real)』は当時としては破格の50万部を売り上げる大ヒットとなった。
● 1956年10月24日、キーホーはアメリカ海軍の物理学者トーマス・タウンゼント・ブラウンによる全米空中現象調査委員会(National Investigations Committee on Aerial Phenomena :NICAP、読みはナイキャップ)の設立を援助する(NICAPは後にアメリカ最大の民間UFO研究団体となった)。NICAPは会の首脳部に軍人や科学者などのプロフェッショナルな人材を迎え、これによってNICAPは他のUFO愛好団体とは大きく異なった性質を持つようになった。
● 創設者であるブラウンは、不適切な経理処理を繰り返したあげく、キーホーによって1957年初めに委員会を放逐された。同年、キーホーが会長に就任。以降13年間に渡って会長職を務めた。


 

 



初出:2015年11月02日、テレビの悪足掻き