★[調査]映像の世紀(第1集) 20世紀の幕開け ~ カメラは歴史の断片をとらえ始めた(前編)
● 1995年に振り返った20世紀。Youtubeもなく、まだ9.11も3.11も想像できない頃・・・。20年前に放映された「映像の世紀」を振り返ります。
※ 映像の世紀をみて追加調査した内容を記載していきます。
φ 世界最初の映画(導入部)
φ 1900年 パリ
φ ヴィクトリア女王
φ スピードの世界
φ ロシア革命前
◆ 世界最初の映画(導入部)
● 工場の出口(1985年)・・・ リュミエールが撮影した工場の出口の様子。1895年にパリで公開された世界最初の映画で、映写機のレンズは水の入ったフラスコ、光源はアーク灯だった。
【 関連映像 】
● La sortie de l'usine Lumière à Lyon (1895) – Frères Lumière – YouTube
※ リュミエール兄弟は、トーマス・エジソンと並び称せられるフランスの映画発明者。「映画の父」と呼ばれる。世界初の実用カラー写真の開発者でもある。(リュミエール兄弟 – Wikipedia)
◆ 1900年 パリ
● パリ(1900年)・・・パリを歩く紳士、淑女の姿。19世紀末のファッション。飛行船による遊覧。
● パリ万国博覧会々場(1900年)・・・博覧会の目玉、地下鉄。4Kmに渡る動く歩道。
● 夏目漱石(当時3歳)の手紙より
「 パリスに来てみれば、その繁華なること、これまたとうてい筆紙のおよぶところにこれなく、就中(なかんずく)、道路・家屋などの広大なること、馬車・電気鉄道・地下鉄道などの網のごとくになる有様、誠に世界の大都にござ候。今日は博覧会を見物したにござ候が大仕掛けにて、何がなにやらいっぽう方角さえわかりかね候。名高きエッフェル塔に昇りて、四方を見渡しもうし候。これは300mの高さにて、人間を箱に入れて綱にて吊るし上げ、吊るし下ろす仕掛けに候 」
● パリジェヌのファッション・・・当時のパリジェンヌの合言葉は「さぁ、着飾って外へ」
● 写真家 H・ジュアン パリ1900より
「肘の上までピッチリと包むカモシカの手袋は左右それぞれ32個のボタンで留められていました。愛人の手を握り、接吻で覆いたいと思う恋する男は、まず64回の手続きに没頭しなければならないのです。でも裸になるのは手だけ、その後も恐るべき峠が続く。帽子の留めピンという峠、つづいて宝石やアクセサリ、デリケートな作業。果てしなく続くボタンを外して、ドレスが払いのけられると現れるのは、幾重にも重なるレースの花のペチコート。」
● パリの決闘シーン・・・替え添え人が決闘のやり方を決める。
● クロード・モネ・・・睡蓮の絵を描く、モネ本人の映像
● オーギュスト・ルノアール・・・椅子に座り、タバコをふかしながら不自由な手で筆をとるノワールの本人映像。
● ルイ・フェローの蛇の踊り・・・大きな布を使った踊り。
● シオタ駅への列車の到着・・・リュミエールのシネマトグラフ。近付く列車に驚き席を立つ観客、スクリーンの外に消える汽車がどうしても理解できない観客がいた。
● シネマトグラフの入り口の映像
● マキシム・ゴーリキーの手記よりシネマトグラフの感想
「 シネマトグラフの印象はあまりにも異常で複雑だ。それはまるで黄泉のくにであった。すべては奇妙な沈黙の中で進行する。馬車の轍の響きも足音も会話も聞こえてこない。人の微笑には音がない。
一人の少年が登場し、ホースの上を歩く。庭師は少年を追い掛け折檻する。でも何も聞こえない。私は今のところ、リュミエール兄弟のこの発明を賞賛はしないが、その重要性は認識している。きっと人間の生活と精神に影響を及ぼすであろうことを。」
● 世界の映像・・・エジプト、アルジェあるいはチェニス、モンゴル、ハノイ、京都(1898年)の映像。
【 関連映像 】
● Paris – 1900 (1900) – YouTube
● Le ballon dirigeable Français Le Patrie 1907 – YouTube
● 驚異の映像 こんなにハイテクだった!驚きの1900年パリ万博の映像 – YouTube
■ The Lumiere Brothers' – First films (1895) ■
● Claude Monet – Filmed Painting Outdoors (1915) – YouTube
● Pierre-Auguste Renoir – Filmed Painting at Home (1919) – YouTube
● PARIS 1900 1925 la belle époque film en couleur rare version longue – YouTube
● This Was New York (1900) – YouTube
● China Imperial 1900 – YouTube
● India Before 1900 Old Rare Photos Of India – YouTube
● Street scenes in Moscow, Russia in the 1900's. Film 11142 – YouTube
● Puccini's Japan in early 1900's ("Humming Chorus" from "Madame Butterfly") – YouTube
※ クロード・モネは、印象派を代表するフランスの画家。「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家であった。( クロード・モネ – Wikipedia )
※ ピエール=オーギュスト・ルノワールは、フランスの印象派の画家である。後期から作風に変化が現れ始めたので、まれにポスト印象派の画家とされることもある。( ピエール=オーギュスト・ルノワール – Wikipedia )
※ マクシム・ゴーリキーは、ロシアの作家。ペンネームのゴーリキーとはロシア語で「苦い」の意味。( マクシム・ゴーリキー – Wikipedia )
◆ ヴィクトリア女王
● ロンドン・・・20世紀初頭のロンドン。道路は舗装され、地下鉄も走っていた。しかし道路は馬車と石炭で走る乗り合いバスでごった返し、馬糞と煤煙の異様な臭いが漂っていた。
● ヴィクトリア女王即位60年祭り(1897年)・・・ヨーロッパのほとんどの王家に血縁を送り込み、世界で最大の植民地を支配する権力者だった。馬車に乗るビクトリア女王の本人映像。身長150cm。夫が死んでからはずっと黒い喪服を着ていた。
● ボーア戦争(1899~1902年)・・・イギリスは南アフリカのダイヤモンドと金の利権を狙い、現地ボーア人を攻め植民地にした。若き日のチャーチルが新聞特派員として赴いていた。
● イギリス領の植民地映像
● イギリス領インドの映像
● 夏目漱石の日記より
「 1901年1月23日 昨夜6時半、女王オズボーンにて死去す。弔いの半旗掲げられけり。街、みな喪に服せり。余もまた黒きネクタイを締め、異国の臣民ながら弔意を表さんとす。余に黒手袋を売りし店の男、「新世紀の開始、甚だ幸先悪し」と嘆く」
● 夏目漱石の日記より
「 クイーンの葬儀を見んとて朝9時、宿の主人と共に出ず。オーバルより地下電機にてバンク駅に至り、それより2ペンスチューブに乗り換う。マーブルアーチにて降りれば甚だ人ごみ荒い故、ネクストステーションに下らんと宿の主人に云う。その言の如くしてハイドパークに入る。さすがの大公園も人間にて波を打ちつつあり。園内の樹木みな人の実を結ぶ。宿の主人、余を肩車に乗せてくれたり。ようやくにして行列の胸以上をみる。キング、ジャーマンエンペラーなど従う。棺は白に赤をもって覆われたり。」
● ヴィクトリア女王葬列(1901年2月2日)・・・何台ものカメラで撮影された葬儀の映像。その中にドイツ皇帝ウイルヘルム2世とジョージ5世(後のイギリス国王)の姿が。二人共にヴィクトリア女王の孫。この二人が第一次世界大戦で敵同士として戦うことになる。
【 関連映像 】
● LONDON 1900 – YouTube
● Queen Victoria At Garden Party (1898) – YouTube
● Queen Victoria's Funeral (1901) – YouTube
※ ヴィクトリア女王は、イギリス・ハノーヴァー朝の第6代女王、初代インド女帝。世界各地を植民地化・半植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ、その治世はヴィクトリア朝と呼ばれる。( ヴィクトリア (イギリス女王) – Wikipedia )
◆ スピードの世界
● 自動車レースの映像。
● ライト兄弟・・・初めて飛行機を飛ばしたライト兄弟の公開飛行の映像。
● ルイ・ブレリオ・・・リンドバーグの20年前に英仏海峡横断成功した空の英雄、その本人映像。
● 飛行機ダンス・・・当時流行した飛行機を模したダンス。
● 新聞特派員の打電
「将来、空中戦争が可能になることは確実である。飛行機は島国であるわが国でも重大な影響を及ぼすであろう」
【 関連映像 】
● Motor Racing (1900-1909) – YouTube
■ The Wright Brothers In Flight ■
● Clip of the Week: Louis Blériot mans the first flight over the English Channel, 1909 – YouTube
※ ライト兄弟は、アメリカ出身の動力飛行機の発明者で世界初の飛行機パイロット。世界最先端のグライダーパイロットでもあった。自転車屋をしながら兄弟で研究を続け、1903年に飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功した。。( ライト兄弟 – Wikipedia )
※ ルイ・シャルル=ジョゼフ・ブレリオはフランス航空界の先駆者。( ルイ・ブレリオ – Wikipedia )
◆ ロシア革命前
● モスクワ・・・モスクワの映像。血の日曜日、日露戦争の前、300年続いたロマノフ王朝に陰りが出始めた頃。
● レイ・トルストイ・・・白い髭の老人、トルストイの本人映像。世界でもっとも有名な知識人の一人、当時は活字文化がもてはやされ英雄的存在だった。
● モスクワを訪れたトルストイ
● ルースコイア・スローヴァ新聞より
「 クスルク停車場には俳優、ジャーナリスト、商人、労働者、学生、あらゆる階層の人々の姿があった。群集はついに数万人に達した。遥か向うの陰に幌馬車が現れると、轟然たる万歳の絶叫が響きわたった。写真班や活動写真班が盛んに撮影していた。群集はあらゆる戸口や窓から飛び出し、瞬く間にクルスク駅すべてのプラットフォームを埋め尽くす。客車や官舎にまで攀じ登るものもいる。発車のベルが鳴り、汽車は動き出す。誰かが叫ぶ、もう百年生きてください、さようなら 」
● トルストイの反戦論(1904年)、タイムズ「思い直せ」より
「 戦争はまたもや起こった。見よ、一方は一切の殺生を禁じた仏教徒であり、一方は世界の兄弟愛を公言するキリスト教徒であるというのに。いまでは極めて惨たらしい方法で互いに傷つけあい、殺戮を重ねあおうとしている。陸に海に、野獣のごとく相手の隙を覗っている。これは夢ではない 」
● 203高地・・・イギリス人ジャーナリストが撮影した映像。大砲を203高地へ移動しているところ。
● 旅順港・・・日本軍による旅順港の攻撃映像、本当の戦争か演習かは不明。
● ステッセル将軍・・・旅順陥落後、野木将軍を訪れた時の本人映像。
● 東京・・・日露戦争当時の東京の街の様子。路面電車が多く走る。与謝野晶子旅順にいる弟へむけて「君死にたまうことなかれ」を発表。
● イサドラ・ダンカン・・・モダンダンサーの祖、彼女の唯一の動く本人映像。撮影されることを嫌ったダンカンを隠し撮り
● イサドラ・ダンカン、わが生涯より
「 私の生涯は、時折宿命というものを信じないでいられないことが起こります。 1905年1月25日、私はペテルブルグに向う汽車の中にいました。ロシア皇帝から招待を受けて、貴族達の前で踊るための旅でした。ペテルブルグには猛吹雪のために列車が遅れ、翌朝の4時に到着しました。駅には誰も迎えに来ていませんでした。寒暖計は冷夏10度を指していました。私は馬車に乗ってヨーロッパホテルへと命じました。たった一人で明け方の街を走っていると、突然エドガー・アラン・ポーが書きそうな君の悪い光景にであったのです。私が遠くに見たものは長い行列でした。暗く悲しみに沈んだ行列。たくさんの男が次々と棺を担いで行くのです。」
● 血の日曜日・・・後世に作られたと思われる事件の映像。デモに皇帝の軍隊が無差別発砲をしている。
● ロマノフ家 冬宮・・・現エルミタージュ美術館
● ニコライ2世、宮廷の様子
● ニコライ2世の日記より(血の日曜日事件 当日)
「 1905年1月22日 日曜日 重苦しい日だ。ペテルブルグで労働者たちが王宮に入ろうとしたために深刻な暴動が起こった。軍隊は発砲しなければならず、多くの人が殺され負傷した。なんとも心苦しく、心の痛む出来事だった。
1月23日 月曜日 今日はペテルブルグに特別な事件は起こらなかった。いくつかの報告を聞いた後にアレクセイ王子と昼食を共にした。午後、ウラルからキャビアを持参したカザク代表団に会った。散歩後、ママのところでお茶を飲んだ。 」
● イサドラ・ダンカン
「 踊る私は皇帝や貴族達から大喝采を受けました。なにかに楯突くようなショパンの軍隊ポロネーズ。悲しみに満ちたプレリュード。 あの夜明けの殉教者に捧げた私の魂が、金持ちの貴族達である観客に感激を与えたのです。奇妙なことです。 」
● トルストイの肉声
「 人間には他者への義務だけでなく自らの中に宿る精神に対する義務がある。 」
● トルストイ、ガンジーへの手紙より
「 あなたの雑誌、インディアンオピニオンを受け取りました。そこに書かれている無抵抗主義のことを知り、喜んでいます。そこで私の心に生まれた考えを、あなたに聞いて頂きたくなりました。それは、無抵抗と呼ばれていることは愛の法則に他ならないと言うことです。愛は人間の生活の最高にして唯一の法則であり、このことは誰でも心の奥底で感じていることです。私達は子供の中に一番明瞭に見出します。愛の法則はひとたび抵抗という名のもとでの暴力が認められると無価値となり、そこには権力という法則だけが存在します。ですから私はこの世の果てと思われるトランスバールでのあなたの活動こそ、現在世界で行われているあらゆる活動の中のもっとも重要なものと信じます。 」
【 関連映像 】
■ Leo Tolstoy – The Last Years ■
● Leo Tolstoy – on film – YouTube
● Russo-Japanese War 1904-1905 На сопках Маньчжурии – YouTube
● Isadora Duncan – YouTube
● Isadora Duncan Dancers – YouTube
● ショパン:軍隊ポロネーズ イ長調 Op.40-1 – YouTube
※ レフ・ニコラエヴィチ・トルストイは、帝政ロシアの小説家、思想家である。フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並んで19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。( レフ・トルストイ – Wikipedia )
※ イサドラ・ダンカンは、20世紀を代表するアメリカのダンサー。モダンダンスの祖でもあった。( イサドラ・ダンカン – Wikipedia )
※ 血の日曜日事件とは、1905年1月9日、ロシア帝国の当時の首都サンクトペテルブルクで行われた労働者による皇宮への平和的な請願行進に対し、政府当局に動員された軍隊が発砲し、多数の死傷者を出した事件。( 血の日曜日事件 (1905年) – Wikipedia )
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初出:2015年12月13日、テレビの悪足掻き