★[調査]映像の世紀(第1集) 20世紀の幕開け ~ カメラは歴史の断片をとらえ始めた(後編)

ドキュメンタリー, 調査

● 知ってるようで知らない第一次世界大戦。歴史はつながり、今の世界へもその陰を落としています。

※ 映像の世紀をみて追加調査した内容を記載していきます。

φ 清王朝、弁髪、西太后、孫文、辛亥革命
φ 移民大国アメリカ
φ ロマノフ王朝300周年
φ 1914、サラエボ
 


◆ 清王朝、弁髪、西太后、孫文、辛亥革命

【 紹介された映像 】
● 揚子江下流域・・・清王朝の衰退。
● 北京の映像(1909年)
● 孫文の宣言文、興中会章程より
「 中国の弱体化は今に急に始まったことではない。為政者は愚俗にして、民衆は無知蒙昧、遠く将来のことを考えるものは少ない。今列強は虎視眈々、豊かな資源を狙っている。わが国が列強のため分断される危機は目前に迫っている。国民を苦しみから救い、国家の滅亡を防ごう。 」
● 米国人ジャーナリスト「カール・クロウ」の手記
「 何も起こっていなかったのではありません。ニュースはあった。ただそれが我々のところに届いていなかったのです。北京では陰謀が渦巻き、自殺の強要、殺人が繰り広げられ、地方では権力をかさにきた役人が金持ちを冤罪で告発し、財産をむしり取っていました。飢餓によってその地方の人口が一掃されたところもあったのです。毎日、毎日全世界の新聞の紙面を飾って、多くの人々の関心を集めるはずのことが起こっていたのです。しかし、我々はそれを知ることはなかった。 」
● 辛亥革命 武昌(1911年)・・・孫文率いる革命軍帰国、翌年革命政府が成立。
● タイタニック号 イギリス出発(1912年)・・・1503名の犠牲者
● 安否を気遣う家族達 リバプール港
● 南極探検隊長 白瀬中尉、公園会長 大隈重信の本人映像・・・アムンゼン、スコット。極地探検の時代だった。
● 栃木の映像・・・韓国併合、東北北海道の大凶作、農村女性の身売りが急増、社会主義者を弾圧した大逆事件
● イギリスのダービー(1912年)・・・婦人解放運動の党首の夫人エミリー・デイビソンが国王の持ち馬に身を投げ自殺、参政権を求めた死の抗議。
● エミリー・デイビソンの葬儀(1921年)

【 関連映像 】
搜狐视频大视野:辛亥革命百年祭第1集:汪精卫刺杀摄政王 – YouTube


■ Titanic Disaster – Genuine Footage (1911-1912) ■

Titanic Disaster – Genuine Footage (1911-1912) – YouTube
R.M.S Titanic – YouTube
Oshin 07 Sub Spanish.avi – YouTube
Emily Davison (Suffragette) killed by King's Horse at Derby (1913) – YouTube


【 参考 】
※ 孫 文(そん ぶん、1866年11月12日 – 1925年3月12日)は、中国の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。中国国民党総理。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」、中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。また、中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」として近年「国父」と呼ばれる。海峡両岸で尊敬される数少ない人物である。( 孫文 – Wikipedia
※ 辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、中国で発生した民主主義革命である。名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。 この結果、アジアにおいて史上初の共和制国家である中華民国が誕生するという世界史上に大きな影響を与えた。( 辛亥革命 – Wikipedia
※ タイタニック(RMS Titanic)は、20世紀初頭に建造された豪華客船である。処女航海中の1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没した。犠牲者数は乗員乗客合わせて1,513人(他に1,490人、1,517人、1,522~23人など様々な説がある)であり、当時世界最悪の海難事故であった。その後、映画化されるなどして世界的にその名を知られている。( タイタニック (客船) – Wikipedia
※ 『おしん』は、1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送されていた日本のNHK連続テレビ小説第31作。( おしん – Wikipedia


タイタニック <2枚組>
( オムニセブン )

 


◆ 移民大国アメリカ

【 紹介された映像 】
● コニーアイランド、ニューヨーク・・・遊園地のイルミネーション、初期のカメラでも撮影できるほどの明るさ。
● 星条旗よ永遠なれ 1900年頃の録音・・・アメリカ人誰もが行ってみたいと夢見た遊園地、コニーアイランド。
● マンハッタン、ニューヨーク・・・20世紀の初めの10年間、ヨーロッパから800万人の移民が押し寄せた。
● チャーリー・チャップリン作 移民(1917年)
● チャップリン 自伝より
「 これがあの冒険心と向学といささかの恐怖を持って憧れていたニューヨークでした。ニューヨークはなによりもまず大企業の街でした。見上げるような摩天楼。街を行く人は他人の都合などほとんど考慮に入れていないように見えたのです。愛想よくしたり、丁寧な口を利いたりすることなど、まるで人間としての弱さと考えているかのように無表情に澄ましこんでいるのです。
アメリカ人というのはエネルギッシュな夢に取り付かれた楽天家であり、挫折を知らない冒険家であり、いつも素早い大儲けを狙っている。「成功しろ!」 「出世しろ!」 「裏をかけ!」 「商売変えろ!」こうした態度も次第に私の心を明るくしてくれるようになりました。「そうだ・・・どうなろうと・・・アメリカで頑張ろう」私は決心しました。 」
● マンハッタンの移民街
● イタリア移民の手記より
「 私がアメリカに来たのは、この国では道に黄金が敷き詰められていると聞いたからでした。しかしここに着いて三つのことを知りました。 まず第一に、道には黄金など敷かれてはいないということ。次に、そもそも道はまったく舗装されてさえいないこと。そして最後に気付いたのは、この道を舗装する役目は私に課せられているのだということでした。」
● 油田の発見(1900年頃)・・・地面から溢れ出る油
● ヘンリー・フォード・・・フォードT型車の発表、フォードシステムによる大量生産。
● 映画の発展・・・毎日500万人が映画館へ。俳優という職業が生まれる。ハリウッドが誕生する数年前。
● プリンセス ニコチン・・・特殊撮影が人気。
● アメリカ艦隊の世界一周航海(1907~8年)・・・16隻の艦隊が強いアメリカのデモンストレーション。日本とドイツを牽制。
● セオドア・ルーズベルト モンロー主義についてより
「 合衆国がいささかでも領土を渇望しているとか、西半球の他の国々に対して何らかの計画を抱いているというのは事実ではない。しかし、文明社会の絆を傷つけるような無能力国家は、アメリカであれ他のいずこであれ、最終的にはどこかの文明国による干渉を受けざるを得ないだろう。モンロー主義を信奉する合衆国としては、そのような無能力な国家に対してはためらいつつではあるが、国際警察力の行使を余儀なくされるだろう。 」
● セオドア・ルーズベルト・・・セオドア・ルーズベルト第26代大統領の本人映像

【 関連映像 】
Luna Park, Coney Island, 1903 – YouTube
The Immigrant w/ Charlie Chaplin [FULL][1080p] – YouTube
Historia de Ford. – YouTube


~ Princess Nicotine; or, the Smoke Fairy (1909) – YouTube ~

Theodore Roosevelt with Rough Rider Friends – YouTube
 

 
【 参考 】
※ コニー・アイランド(Coney Island)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン区の南端にある半島および地区である。ニューヨークの近郊型リゾート地、観光地として知られる( コニーアイランド – Wikipedia
※ チャールズ・スペンサー・"チャーリー"・チャップリンは、イギリス出身の映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家である。( チャールズ・チャップリン – Wikipedia
※ “テディ”セオドア・ルーズベルトは、アメリカ合衆国の軍人、政治家であり、第25代副大統領および第26代大統領。( セオドア・ルーズベルト – Wikipedia
※ ヘンリー・フォードは、アメリカ合衆国出身の企業家、自動車会社フォード・モーターの創設者であり、工業製品の製造におけるライン生産方式による大量生産技術開発の後援者である( ヘンリー・フォード – Wikipedia
喜劇王チャールズ・チャップリンの名言が深すぎる20選 | CuRAZY [クレイジー]

1/16 フォードT 1912 (07462)
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◆ ロマノフ王朝300周年祭

【 紹介された映像 】
● *ロマノフ家300年式典(1913年3月)・・・威信をかけたセレモニー。やがて処刑されることになるニコライ一家。アナスターシャの本人映像。
● アレクセイ皇太子・・・病気がちの少年、大切に育てられた。
● グレゴリー・ラスプーチン・・・皇帝一家に取り入り出世、権力をほしいままに。
● ニコライ2世の日記より
「 午後7時にグレゴリーがやってきて、しばらく妻とアレクセイの傍にいた。私とも話をした。グレゴリーが去ってまもなくのことである。わが息子アレクセイの腕の痛みが嘘のように消え始め、やがて彼は落ち着いて寝入ってしまった。 」
● フランスの映画会社 パテ社のフィルム・・・1913年、ニコライ2世とそれに従う軍人達。黒いひげと帽子の男がラスプーチンか?
● 奇妙な映像・・・動く映像が発明されて20年。奇妙な映像が増えてきた。カンガルーとボクシング、鰐で動く車、男対女のボクシング。エッフェル塔から飛び降りる見世物。男の死亡で終了。

【 関連映像 】


~ An Empress and her Children ~

The Most Evil Men and Women in History – Episode Eleven – Rasputin (2002) (380p) – YouTube

 
【 参考 】
※ ロマノフ朝は、1613年から1917年までロシアに君臨したロシアの歴史上最後の王朝である。( ロマノフ朝 – Wikipedia
※ グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンは、帝政ロシア末期の祈祷僧。( グリゴリー・ラスプーチン – Wikipedia

 


◆ 1914、サラエボ

【 紹介された映像 】
● サラエボ市庁舎前(1914年6月28日)・・・サラエボ事件当日のフェルディナンド大公夫妻。夫妻が去った後、車を点検する運転手。
● F・フェルディナンド皇太子・・・オーストリアを納めていたハプスブルグ家はバルカン半島を征服し、ゲルマン民族の手で統一しようとしていた。フェルディナンド皇太子、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の本人映像。フェルディナンドはドイツを嫌っていた。
● サラエボ・・・ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボ。いくつもの暗殺団が潜伏。
● 未遂に終わったテロ(事件当日 午前10時頃)・・・手榴弾を投げられるが皇太子は難を逃れる。この後市庁舎前に。
● 皇太子夫妻の乗っていた自動車 ウィーン軍事史博物館・・・黒い手(暗殺団)による弾丸の跡。
● フェルディナンド夫妻の葬列 トリエステ(現イタリア)・・・第一次世界大戦1914年
● 運命(1914年)・・・ベルリン・フィルハーモニー 、指揮者アルトゥール・ニキシュ
● ウィルヘルム2世の兵士達への言葉
「 それゆえに武器をもつのだ。少しの遅れもためらいも祖国への裏切り。ドイツの権威とドイツ国家の存亡に関わることなのだ。我々は最後まで祖国を守りぬく。 」

20世紀初頭、フィルムにおさめられた映像は世界の王朝の末期の姿。そしてそれは戦争という嵐を前にした束の間の時、激動の20世紀はこれから。

【 関連映像 】


~ The Assassination of Franz Ferdinand – YouTube ~

サラエボ事件 – YouTube
Arthur Nikisch Conducts Beethoven Symphony 5 Mvt 1 – YouTube

 
【 参考 】
※ サラエボ事件とは、1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の継承者フランツ・フェルディナント夫妻が、サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を視察中、ボスニア出身のボスニア系セルビア人(ボスニア語版)の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件。この事件がきっかけとなって、第一次世界大戦が開戦した。( サラエボ事件 – Wikipedia
※ ヴィルヘルム2世は、第9代プロイセン王国国王・第3代ドイツ帝国皇帝。( ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝) – Wikipedia
※ ニキシュ・アルトゥール、アルトゥル・ニキシュは、現在のハンガリー出身で主にドイツで活躍した20世紀初期の大指揮者の一人。( アルトゥル・ニキシュ – Wikipedia

 





NHKスペシャル デジタルリマスター版
映像の世紀 第1集 20世紀の幕開け
カメラは歴史の断片をとらえ始めた
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初出:2015年12月20日、テレビの悪足掻き