★[歌手] 弘田三枝子(ひろたみえこ)のすべて

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あの鼻声は整形のせい? 今は自分が人形。歌手、弘田三枝子さんの情報です。


エピソード

小学生時代の7歳から立川市などの進駐軍のキャンプでポップスやジャズなどを歌っていた。ハワイアンをやっていた兄からの助言と、童謡と英語を先生について習った。
その当時同じ立川で同じように歌っていた少女が伊東ゆかりであり、弘田は「あの子はどんな歌手になるのだろう」と幼心に思ったとのちに語っている。
1961年に東芝音楽工業から、「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピロのカバー)でデビュー、14歳。翌62年には各社競作で出された「ヴァケイション」(コニー・フランシスのカバー)が20万枚のヒットを記録する。他に青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子らも同曲をカバーした。青山ミチ版は3万枚の小ヒットだった。村田久夫は「西洋のリズム・メロディラインと日本語の言語としての伝達能力の問題を克服する手段として、英語っぽい日本語を考え出したのは弘田三枝子」と指摘している。
1964年10月に東芝音楽工業を退社し、日本コロムビアへ移籍する。 1965年7月には、日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。カーメン・マクレエ、クインシー・ジョーンズ、デューク・エリントン、ジョン・コルトレーンなど、当時のトップクラスのジャズミュージシャンが勢ぞろいした中、ビリー・テイラー・トリオをバックに歌い、3日目のトリという大役を務めた。
彼女は、60年代前半あたりまでは好調を保っていたが、筒美京平らが曲を提供したにもかかわらず、それ以後のGSブームなどには完全に乗り遅れてしまった。60年代初頭のアメリカン・ポップスやオールディーズを歌う歌手という古いイメージを払拭し、カムバックを果たしたのが川口真作曲の「人形の家」である。
弘田は1969年、「人形の家」で第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。川口真も、それまでGSの編曲などをおこなっていたが、この大ヒットで有名作曲家の仲間入りを果たし、その後、尾崎紀世彦、金井克子、夏木マリ、布施明らにヒット曲、名曲を提供していった。また京都にてR&Bの2回目のコンサートを行う。

兄(物故)、姉、娘がいる。
歌唱力とパンチの効いた歌声で、「ポップスの女王」と言われていた。当時「日本女性歌手史上最高の歌唱力」と評された。
何年もかけて、専門医と相談しながら科学的に健康的に60キロから42キロまで減量した。
テレビなどで人前に出てる時って手袋をはめている。
ジャングル大帝のエンディング(レオのうた)を歌っていた。

(???)


データ


本名:高木三枝子
愛称:MICO、ミコちゃん、ポップスの女王
生年月日:1947年2月5日
出生地:東京都世田谷区池尻


身長:160 cm
体重:-
血液型:A型


事務所:-
趣味:-
受賞歴:-

1961年(14歳)、東芝音楽工業から、「子供ぢゃないの」でデビュー。
1962年(15歳)、各社競作で出された「ヴァケィション」が大ヒットする。
1964年(17歳)、日本コロムビアへ移籍する。
1965年(18歳)、日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。当時のトップクラスのジャズミュージシャンが勢ぞろいした中、ビリー・テイラー・トリオをバックに歌い、3日目のトリという大役を務めた。
1969年(22歳)、「人形の家」で第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。
1970年(23歳)、「ミコのカロリーBOOK」を出版。当時は、ダイエット本が珍しく、150万部を超える大ベストセラーになる。
1973年(26歳)、ブルガリア音楽祭へ出場。
1976年(29歳)、中野サンプラザでおよそ10年ぶりのリサイタル「Mieko in peason」を開いたことで話題になる。立ち見客が出るほどの反響ぶりで、この模様は後にLP盤で発売された。その後、アメリカ滞在中に結婚し愛娘を授かるが、すぐに離婚。
1980年(33歳)、幼い愛娘を連れてに帰国する。



出演映画

1971年 開運旅行
1969年 華やかな女豹
1969年 栄光の黒豹
1963年 女弥次喜多 タッチ旅行
1963年 独立美人隊
1963年 魚河岸の旋風娘


ディスコグラフィ

[ カバー曲 ]

1965年 夢みるシャンソン人形( 原曲はフランス・ギャルのPoupée de Cire、 Poupée de Son )
1965年 夕陽のなぎさ( 原曲はブルース・ジョンストンのMaksha At Midnight )
1965年 ナポリは恋人( 原曲はジリオラ・チンクェッティのNapoli、 Fortuna Mia )
1964年 砂に消えた涙( 原曲はミーナ・マッツィーニのUn Buco Nella Sabbia )
1963年 渚のデイト( 原曲はコニー・フランシスのFollow The Boys )
1962年 すてきな16才( 原曲はニール・セダカのHappy Birthday Sweet Sixteen )
1963年 悲しきハート( 原曲はスーザン・シンガーのLock Your Heart Away )
1962年 ヴァケイション( 原曲はコニー・フランシスのVacation、1962年紅白歌合戦出演曲 )
1961年 子供ぢゃないの( 原曲はヘレン・シャピロのDon’t Treat Me Like a Child )
 
 

 

 
[ シングル曲 ]

2006年 恋のクンビア21
2000年 パーフェクト・ワールド [A night at Organ b. MIX]
1983年 O-KAY
1983年 愛のNOKORIGA
1980年 ミスターシャドー
1977年 『ドーベルマン刑事』のテーマ
1977年 マイ・メモリィ
1977年 川の向こうに
1976年 絵空事
1975年 女の癖
1974年 蝶の雨
1973年 花の咲く朝
1972年 都会の女
1971年 裏庭の出来事
1971年 バラの革命
1970年 できごと
1970年 ロダンの肖像
1970年 燃える手
1969年 私が死んだら
1969年 人形の家
 


 
1968年 可愛い嘘
1968年 渚の天使
1968年 涙のドライヴ
1967年 枯葉のうわさ
1967年 渚のうわさ
1967年 世界の国からこんにちは
1966年 夢みる乙女
1965年 恋のクンビア
1964年 砂に消えた涙
1964年 ひとつぶの真珠
1963年 明日をみつめて
1962年 寝不足なの/ブルージン・ブルース

 
 

  




初出:2016年11月24日、テレビの悪足掻き

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