★[感想]レベッカ(さらにさらに感想を追加)

1940年ヒッチコック監督作品、レベッカの感想です。

 

紹介

ヒッチコックの渡米第一作となったサイコスリラー。
出演 ジョーン・フォンテイン、ローレンス・オリヴィエ。
原作はダフニ・デュ・モーリエの『レベッカ』。

感想

 
[ モンテカルロ ]

有閑マダムの付き人として、モンテカルロを訪れた「私」(ジョーン・フォンテイン)。崖から身を乗り出す紳士に気付き、声を上げます。大きな声を出すなと叱る男。彼の名はマキシム・ド・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)、イギリスの大富豪。彼が海難事故で妻を亡くしていることを知るまで、それほど時間はかかりませんでした。恋に落ちる二人、突然のプロポーズ。そして「私」はド・ウィンター夫人となり、あの有名な屋敷、マンダレーに足を踏み入れることとなります。

これが話の序盤。ちょっと少女趣味。話のテンポももうひとつで、ちょっとイライラします。見る映画を間違えたか・・・。救いはジョーン・フォンテインの美貌。目を奪われます。スクランブルエッグを食べる仕草とか、ちょっとキュンとなりました。
(*^^*)
対するマキシムは威厳のある紳士。1940年(この映画が公開された年)当時だと、欧米でもこんな感じの男社会だったんだなぁ。

好きなシーンは二人が役所に婚姻届けを出すシーン。役所から出てきた二人は、証明書を忘れていて、役人が二階からヒラヒラと落とし渡します。それを受け取る二人。書類なんてただの紙、もっと大事なものがあるということか。

ハネムーンのシーンはなく(後に効果的に出てくる)、二人はマンダレーへ。そしてここからジワジワ、映画に引き込まれて行きます。じんわり身動きが取れなくなる感じ。わっと出てきて、脅かす今どきのびっくり箱映画と違い、真綿で締め付けられるよう。逃げ場もなく追い詰められていくのです。

(2018年12月11日)

 
 
 

 
 
[ マンダレイ ]

マキシムのオープンカーでハネムーン。最後、マンダレーにたどり着いた「私」。門を過ぎてもしばらく続く森、雨が降ってきます。フードの中、目を細めて見上げた大邸宅。ウィンター家のあまりの大きさに「私」は唖然とします。

出迎えたのは大勢の召使、メイド、そして屋敷を仕切るダンヴァース夫人。長年レベッカに仕え、未だ彼女を崇(あが)める使用人です。あたふたと挨拶する「私」。落とした手袋を拾い、手渡す夫人。その無表情が怖いです。

使用人たちの好奇の目、あらぬ噂をたてる親類たちの口。レベッカ、レベッカ。常に前妻と比較される「私」。美しく、気品があり、育ちのいいレベッカ。私では勝負にならない。自信を無くしていく「私」を見る私も、だんだん不安になってきます。

ある日、レベッカの部屋に入る「私」。彼女の机に座り、彼女の愛用品の数々を手に取ります。アドレス帳、封筒、便せん。すべてイニシャルの”R”入り。誤って天使の置物を落とす「私」。粉々になる天使、慌てて破片を集め、引き出しの奥へ。誰にも話すことができない「私」。

仕事で家にいないマキシム。彼は今でもレベッカが忘れられない、すれ違っていく二人。楽しかったハネムーンのフィルムを見る二人。そこに執事が現れます。

「旦那様、少々問題が。ロバートとダンヴァースが少々揉めています。」

聞くと天使の置物がなくなり、ダンヴァースはロバートを疑っているという。実は私が壊したんです。そう、マキシムに告げる「私」。なぜ言わなかったのかとマキシム、話しづらかったと「私」。些細なことから怒り出すマキシム、慌てて謝る「私」。この結婚は失敗だったのかもしれないとマキシムが言います。

この辺りの話運びが巧み。本当はどれも大したことのない出来事なのですが、段々段々スクリーンから目が離せなくなってきます。将棋で言ったら、羽生善治か藤井聡太か。周りの駒がひとつひとつ捕られ、王将だけになっていくように、観客はスクリーンにくぎ付け、身動きができなくなります。考えてみればまだビデオもないころ、ぴあでヒッチコックのかかる映画館や自主上映を見つけ、勇んで観に行くようになったのも、この映画を見てからだったなぁ。

落ち込んでばかりはいられない。気分一新、仮装パーティを計画する「私」。あれこれ衣装のデザインを考える「私」。そこにダンヴァース夫人から提案が。このキャロライン様の肖像画の衣装になさっては。大きな帽子にたっぷりフリルのドレス。これだわ、さっそく準備に入ります。

仮装パーティ当日。誰にも衣装を見せない「私」。着飾って(この時のジョーン・フォンテインが本当に綺麗)、小物にも凝って、準備万端。下で待つマキシムを徐々に驚かそうとする「私」。どんな顔をするかしら。しかし、振り返り「私」を見たマキシムは驚き、そして怒り出します。

「 その服だけはやめろ!ほかであればなんでもいい 」

怒りに我を忘れるマキシム。そう、あの肖像画はレベッカその人のものだったのです。騙された、怒りに震えに「私」。ダンヴァース夫人の跡を追い、レベッカの部屋へ。二人が向き合います。しかしダンヴァースに「 今でもご主人様はレベッカ様のもの 」そう言い返され、太刀打ちできず、窓辺に立つ「私」。夫人が耳元でささやきます。

「なぜここにいるの? もう生きる理由すらないでしょう? 下をみて、簡単でしょ? さぁどうぞ、ゆくのです、さぁどうぞ、ゆくのです。怖くはありません。」

窓から身を投げるように仕向ける夫人。・・怖い、怖すぎるダンヴァース夫人。マキシムを忘れても、「私」を忘れても、この映画を見た人はダンヴァース夫人のことは忘れないと思います。

「私」は正気を失い、朦朧と。しかし、その時、海に発煙筒が上がります。そして話はここから二転三転。やっとオープニング音楽のサスペンス感に相応しい展開となっていきます。

(2019年01月09日)

<< ここから先はネタバレです。映画を観てから読むことをお勧めします >>

[ マキシム ]

マンダレイは大騒ぎ。仮装パーティは中止。船が座礁し、その下に船を発見。レベッカが乗っていた船です。そしてレベッカの死体も。
またあの時の騒ぎが繰り返されることになる。そうつぶやくフランク(財産管理人)。マキシムはどこ? と「私」。彼は浜辺近くの小屋にいました。いつか子犬を追いかけて見つけたあの小屋に。
悲観に暮れるマキシム。寄り添う「私」。そして「私」は知ることになるのです。マキシムがレベッカを憎んでいたことを!!

「 え~~~っ!! 」思わす声を上げてしまいました。
「 I hated her! 」英語にそのまま反応してしまいました。

完全に騙された。なんというミスリード。これほど驚いたのは最近では「 Walking Dead 」のセカンドシーズンで、行方不明の女の子がゾンビになって表れた時ぐらいです。
(^^;

これは本当に80年も前の映画なのか!?

実はビッチなレベッカ。家の名誉のために離婚できないマキシムをいいことに、やりたい放題の彼女。ファベル(レベッカの愛人)と待合せてたこの部屋で、マキシムと口論になり、躓き転んで死んでしまいます。疑われることを恐れたマキシムはその死体を船に運んで・・・。

警察が動き出し、マキシムは召喚され法廷へ。その様子をみたファベルは逆にマキシムをゆすりかかります。終盤の畳みかけるような展開。もう自分がその場にでもいるような錯覚に陥ります。もうこの辺では「私」は重要ではなくなり、あまりでてきません。私はこの話がどう決着をするのか(マキシムが捕まっても、捕まらくてもバッドエンド)、思いを巡らせますが、なにも思いつきません。どうすんだよ、これ~。

そして警察、マキシム、ファベルがそろって、レベッカの通っていた医者へ。偽名で通っていた彼女、その主治医からまたもや驚きの一言が。

「 It’s cancer. 」

レベッカはガンだったのです、それも末期の。誰も知らなかった彼女の秘密。事件は自殺に間違いないということで、事件は決着します。最後はおかしくなったダンヴァース夫人が、マンダレイに火を放つスペクタクルシーンがあり、物語は幕を閉じます。・・・まったく、最後を読めなかった、完敗だ。

(2019-01-16)

まだまだ、つづく
 

薀蓄

ヒッチコックは制作の数年前に「レベッカ」の映画化を検討したが、版権が取れずに断念した経緯があったため、この作品を手がけることには乗り気だったと思われる。しかし、それまで常に自作の脚本に関与してきたのに「レベッカ」のシナリオには参加できず、しかも制作中にプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックから多くの横やりが入っており、ヒッチコックにとってはおおいに不本意な制作環境であったという。
セルズニックは配役にあたってオリヴィア・デ・ハヴィランドを主人公にと考えていたが、彼女はすでにサミュエル・ゴールドウィンの作品の出演が決まっていたので諦めた。その後彼女の妹のジョーン・フォンテインに打診したが、彼女のエージェントは全く別の女優を推薦してきた。結局ロレッタ・ヤング、ヴィヴィアン・リー、アン・バクスター(彼女はヒッチコックのお気に入りで後に『私は告発する』(1953)で出演させている)なども選択肢になったが、特に役作りの上でヤングとリーは間違った選択になると思い、結局ジョーン・フォンテインに落ち着いた。しかし、当時のフォンテインは大スターではなかったため、スタジオ側は彼女が主演と聞いて落胆したと伝えられる。
オリヴィエとしては、当時の恋人ヴィヴィアン・リーとの共演を望んでいたため、撮影中ジョーン・フォンテインには冷たい態度をとった。オリヴィエの態度にフォンテインが恐れを抱いたのに気付いたヒッチコックは、スタジオにいる全員に対して、フォンテインに対してつらく当たるように伝えた。これによって、フォンテインから恥ずかしがりで打ち解けられないという演技を引き出したのであった。
劇中、フォンテイン演じる主人公のファーストネームは一度も語られることはない。原作者のデュ・モーリアは撮影中セルズニックに「ダフネ」と名前を付けるように頼んだが断られた。
ダンヴァース夫人は登場する際に歩く描写はほとんどなく、気付くと主人公の近くに立っている。これはもちろんヒッチコックの演出である。幽霊のように突如現れるイメージを繰り返すことで、ダンヴァース夫人が亡きレベッカ(とその屋敷)に取り憑かれた、主人公と対峙する側の存在であることをヒッチコックは強調している。
セルズニックはロケ地としてニューイングランド地方を中心に米国中を捜させたが、ぴったり条件に合う場所がなかった。そこで、遠景はミニチュアで作られたが、この世ならぬ雰囲気をかもし出すためにはかえって効果的であった。またヒッチコックは屋敷の立地を示すような映像を意図的に描かず、屋敷の存在をさらに神秘的なものにしている。
セルズニックは燃えさかる家の煙突から「R」の文字の煙を出させたかったが、ヒッチコックは技術上の困難さを理由に断った。代わりに枕の上で「R」の文字を炎が作ることにした。
『レベッカ』は1940年のアカデミー作品賞を受賞。ヒッチコックは監督賞にもノミネートされていたが、結局監督賞は『怒りの葡萄』のジョン・フォードが受賞した。ヒッチコックにとっては生涯唯一の最優秀作品賞であるが、フランソワ・トリュフォーとの対談では「あれ(作品賞)はセルズニックに与えられた賞だ」と語り、実際にオスカー像もヒッチコックには与えられなかった(ヒッチコックはその後4度も監督賞にノミネートされたが結局受賞することはなく、壇上でオスカーを手にしたのは1967年、アーヴィング・タールバーグ記念賞(功労賞)の一度きりであった)。

 
 

資料

原題:Rebecca
コピー:-
監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:ロバート・E・シャーウッド
原作:ダフニ・デュ・モーリエ
制作:デヴィッド・O・セルズニック
製作総指揮:ー
音楽:フランツ・ワックスマン
主題歌:-
撮影:ジョージ・バーンズ
編集:W・ドン・ヘイズ

わたし / ジョーン・フォンテイン
マキシム・ド・ウィンター / ローレンス・オリヴィエ
ダンヴァース夫人 / ジュディス・アンダーソン
ジャック・ファヴェル / ジョージ・サンダース
フランク・クローリー / レジナルド・デニー

配給:東和
公開:1951年4月7日
上映時間:130分
製作国:アメリカ合衆国
言語:英語

制作費:$1,288,000

Alfred Hitchcock – Rebecca | Trailer (English) – YouTube
1951年 レベッカ
 


   1950年代日本公開の映画一覧はこちら(作成中)   

 
 

本編を観るには・・・

関連作品

[感想]フレンジー ~ シネマドローム
[感想]北北西に進路を取れ ~ シネマドローム

参考・引用

レベッカ (映画) – Wikipedia
レベッカ(Rebecca):アルフレッド・ヒッチコック
『レベッカ』(1940年/米国) – ヒッチコック映画の情報サイト:The Map of Suspense
映画「レベッカ」(1940)感想 68点 – 路地裏シネマ
97 ヒッチコック「レベッカ」② Criterion Collection:映画DVD三昧 (A.S.):So-netブログ
ヒッチコックを観た!「レベッカ」 – 窓の向こうに
セルズニックの「レベッカ」、ヒッチコックの「ダンヴァース夫人」|レベッカ|映画情報のぴあ映画生活
『レベッカ』原作とは異なる印象……鍵はダンヴァース夫人? – ヒッチコック映画の情報サイト:The Map of Suspense

更新履歴

3稿)2019年01月16日、シネマドローム
2稿)2019年01月09日、シネマドローム
初出)2018年12月11日、シネマドローム

あわせて読みたい

Translate »