★[感想]丹下左膳余話 百萬両の壺【感想追加】

 感想記事の抜粋


原題 丹下左膳餘話 百萬兩の壺
惹句 時代巨編 遂に登場
監督 山中貞雄
俳優 大河内傳次郎
女優 喜代三
俳優 宗春太郎
俳優 沢村国太郎
噂の大河内傳次郎主演、丹下左膳餘話 百萬兩の壺の感想です。

 

作品紹介

片眼片腕の侍、丹下左膳(たんげさぜん)。そのニヒルなイメージを一新、コメディタッチで描いた大河内傳次郎版丹下左膳。
1935年(昭和10年)公開。日活を退社した伊藤大輔に替わり、監督は山中貞雄。
左膳を好人物に変え、音楽に『禿山の一夜』を使うなどしたため、原作者、林不忘からの抗議を受けた。そのためタイトルは丹下左膳余話としている。
 

 

物語

柳生藩に代々伝わる「こけ猿の壺」。当主対馬守は、江戸の不知火道場に婿入りする弟源三郎に、祝いの品として壺を贈る。薄汚い壺だと、源三郎はくず屋へ売り、くず屋は長屋の小僧へ。小僧は壺を金魚鉢の代わりにする。
壺の秘密を知った対馬守、源三郎は大慌てで壺を探すが、見つけることが出来ない。
矢場(楊弓の遊技場)の女将お藤、居候の左膳。揉め事があり、客のひとり七兵衛が殺される。
左膳が七兵衛の長屋を訪ねると、小僧安吉がひとり金魚を眺めていた。不憫に思った左膳は安吉を連れて帰る。
「何しろ江戸は広いし。この調子では十年かかるか二十年かかるか・・・まるで敵討ちじゃ」壺の捜索は諦め、矢場に入り浸る源三郎。左膳に、こけ猿の壺の話をする。「考えてみると愉快な話だ。このせちがらい江戸の街に転がり出たんだ・・」と左膳は面白がる。
ある日、安吉かメンコで遊んでいると・・・。
 

感想

 
大河内傳次郎ってどんな人? チャンバラ時代劇のイメージ。でも実物はもちろん、映像も見たことがありません。唯一の接点は笑点。喜久蔵(現 喜久扇)師匠が物真似してるのを、何度か見たくらいです。
(^_^;)

そんな中。プライムビデオを見てたら、主演映画の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」を発見。1935年(昭和10年)公開の時代劇、どんなのかな?

観てみると、それなりに面白い。やはり名前が残っている映画って、残るだけの理由があるようです。

丹下佐膳は隻眼隻手(片眼片腕)の侍。元々は新聞連載小説『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』の1登場人物だったらしい。その姿とニヒルなキャラクターが人気だったもよう。

でもこの映画をみる限り、強い優しいテレビドラマ風ヒーローに見えます。それもそのはず、監督が替わり、前2作とは雰囲気が大きく変わったとのこと、原作者から抗議があるほどに。両方観てみたいものです。

昔の映画だからか、時々、シーンがぶつりと切れてるような気がします。そして、肝心のチャンバラシーンが、ほとんどありません。こういうものなのか・・・。

ネットで調べると、なんとそこにはGHQが絡んでいるらしい。日本刀を振り回すのは、危険分子と言うことでしょうか? チャンバラシーンは検閲でカットされたとか。

道場破り(木刀)のシーンは残っているところを見ると、真剣でなければいいのか? 迫力がありそうなので残念です。アメリカの倉庫で発見されたりしないのかな。

ちなみにこの映画、wikipediaではホームコメディ扱いです。

七兵衛の最期の言葉を受け、その子安吉を訪ねる佐膳。ここから天丼(コント用語)が続きます。こんな感じ。

井戸の前、安吉が他の子と遊んでいる。そこへ佐膳がやってくる。七兵衛のことを尋ねると、ちゃんは昨日から帰らないという。長屋の外で待っていたお藤に、その話をする。

「あんた、あの子に七兵衛さんが死んだって言っておやり」
「おれはヤダよ、おめぇ、言ってこい」
「あたい、まっぴらだよ」
「おれも、まっぴらだい」

安吉が金魚の壺を運んでいる。佐膳が戻ってきて、安吉を呼び止める。
安吉が父親と二人暮らし、他に身寄りがないと聞いて、七兵衛のことを離せない左膳。腹はへっているかと聞く。

「どうだった?」とお藤。
「おい、おの坊主は、母親も兄弟もなぇ ひとりぼっちだとよ」
「可哀想にねぇ。それで、あの子泣いたん?」
「なにがよ」
「なにがって、七兵衛さんが死んだって聞いて泣いたでしょ」
「それだ」
「どうしたの?」
「聞けば坊主、腹がへってるっていうんだ。今朝からなんにも食ってねぇっていうんだよ」
「それで」
「腹がへった子を泣かすのは、罪だからなぁ」
「それもそうねぇ」
「おばさんのところに行けば、美味いまんまがどっさり食わせてやるよ、と言ったら、坊主、喜んでいたよ」
「おばさんて、だれなのよ」
「あたりまえだよ、おめえのこっちゃねいかい」」
「あたし?あたしの家にあの子を?」
「可哀想だから、連れて帰って、なにか食わせてやろうよ」
「ふん、私があんな汚い子供を家に入れると思っているの? あんたが嫌なら、私が言って、泣かしてきてあげるわ。誰があんな子供にご飯を食べさせてやるもんか」

次のシーン。矢場の奥で安吉がご飯を食べている。しばらくして。

「ねぇ、七兵衛さんのことを話して、あの子を追い返してしまいましょうよ」
「おめぇ、言ってこい」
「あんたが言うって、約束じゃないの、私はお店を見てきますからね」
部屋を出るお藤。

「おい、坊や。おめぇ・・・なんて名だい?」
「安吉だよ」
「おう、そうか、安吉か。安ぼうだな」
「おい、安ぼう、・・・これは金魚かい」
「うん」
「小さいね。もっと大きいの、欲しくないかい」

立ち上がる佐膳。

「安ぼう、おめぇ、強えぇだろう?強えぇから、滅多に泣かないだろうなぁ」
「うん、いっぺんも泣いたことがねぇ」
「今までいっぺんも泣いたことがねぇのか」
「うん」
「本当に、生まれて一度も泣いたことはねぇのかい」
「うん。あっ、いっぺん泣いた」
「いつだい、どうして泣いたんだい」
「おっかぁが、死んだとき泣いた」

矢場で三味線で唄うお藤。

「どう、あの子泣いた?」
「うう、うん」

縁側に座る安吉の後ろ姿。

「可哀想にねぇ」
「あまりに可哀想だから、当分うちにおいてやることにしたよ」
「なんですって」
「うちのおばさんは、子供が大好きだから、ちょうどいいって言ってやったよ」
「ばかねぇ、あんたっていう人は。どこまで、そそっかしいんでしょう。あんな汚い子供を、私が好きになれると思っているの?」
「そうかい、それは言って悪かったなぁ」
「悪いわよ、あんな子供1日も家におくことできません。私はね、子供が大嫌いなの。早く追い返してください!」

次のシーン。弓を撃つ源之助のところに、お茶を持ってくる安吉。源三郎とお久(矢場の女中)の会話から、安吉が矢場にきてひと月になることがわかります。

佐膳とお藤の会話から、安吉どうなるんだと思わせておいて、一転結局情に絆されたとわかる。こんな演出が、すでに1930年代にあったのね。

竹馬をせがむ安吉のカット、安吉を道場に通わせるか、寺子屋に行かせるか揉めるカット、いじめっ子で寺子屋に行けない安吉の話と続き、笑う度に泣けてきます。

源三郎とその妻、萩乃。佐膳とお藤
この2組の男女の関係が対象的。源三郎を立て、静かに見守る萩乃。しかし、互いに距離を取り、協調してるようでバラバラ。

一方、佐膳とお藤は、言いたい放題で、喧嘩ばかり。でも、その言葉とは裏腹に、お互いを気遣っています。

萩乃はフローラで、お藤はビアンカか。ビアンカを選んでいたら、どうなっていたんだろう・・・。

どんどん話に引き込まれ、もう残り後10分。どうまとめるのか心配してたら、そう繋げたか。すべて丸くおさまって、花のお江戸は日本晴れ。めでてえなあ。

令和の御世だと、色々問題が指摘されそう。でも、それらを順に取ってみたら、肝心なところもなくなっちゃったというのが、今のドラマなのかも。難しいねぇ。

【おまけ】
源三郎(沢村国太郎)って、なんか見覚えあるなぁ~と思ったら、長門裕之・津川雅彦のお父さんでした。顔立ちだけでなく、演技も似ている気がします。

おわり

蘊蓄

2009年11月20日、キネマ旬報社が創刊90周年(1919年創刊)を記念して『日本映画・外国映画オールタイム・ベスト・テン』を発表したが、『丹下左膳余話 百萬両の壺』は日本映画部門の7位に選ばれた。
山中作品のうち現存する3作品の中で最も古いものであるが、残っているのは戦後公開版で、どこまでがオリジナルであるかは定かでない部分もあり、GHQによる検閲でチャンバラの場面などが削除されたと見られている。

<大河内傳次郎>
戦前を代表する時代劇スターの一人であり、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。サイレント期は、伊藤大輔監督・唐沢弘光撮影のトリオで『忠次旅日記』『新版大岡政談』などの名作を生んだ。
悲愴(ひそう)感ただよう演技とスピード感あふれる殺陣で、従来の時代劇スターの定型を破り、人気を不動のものとした。当たり役は丹下左膳で、トーキー時代の作品では地元の豊前なまりで「シェイハタンゲ、ナハシャゼン(姓は丹下、名は左膳)」と言う決めゼリフで人気を得た。戦後は大物の助演者として活躍した。京都に大河内山荘を造営したことでも知られる。
その立ち回りから「八方破れ」、「型破りの快剣士」、大きな目玉から「目玉のデンジロー」とも呼ばれた[1]。『忠治旅日記』出演のころから、一脈のニヒリズムを底流とした大河内の眼光は、ファンの胸を揺さぶった。

<澤村國太郎 (4代目)>
1905年(明治38年)、歌舞伎作者の竹芝傳蔵の子として東京市浅草区浅草猿若町(現在の東京都台東区浅草六丁目)に生まれた。姉に福祉運動家の矢島せい子、妹に女優の沢村貞子、弟に俳優の加東大介がいる。
妻は女優のマキノ智子で、子は長門裕之(南田洋子の夫)・津川雅彦(朝丘雪路の夫)兄弟の他2女がいる。

 

資料

原題 丹下左膳餘話 百萬兩の壺
英題 Tange Sazen and the Pot Worth a Million Ryo
惹句 時代巨編 遂に登場
脚色 三村伸太郎、
原作 林不忘

監督 山中貞雄
構成 山中貞雄
指揮
音楽 西梧郎
主題 『丹下左膳の唄』ポリドール専属・東海林太郎、『お藤の唄』ポリドール専属・喜代三
撮影 安本淳
編集 福田利三郎
美粧 三浦源次郎
剣導 尾上緑郎

俳優 丹下左膳(隻眼隻手の侍)/ 大河内傳次郎
女優 櫛巻きお藤(矢場の女主人)/ 喜代三
俳優 安吉(七兵衛の息子)/ 宗春太郎
俳優 柳生源三郎(不知火道場の主)/ 沢村国太郎
俳優 茂十(くずや)/ 高勢実乗
俳優 当八(くずや)/ 鳥羽陽之助
俳優 七兵衛(矢場の客) / 清川荘司
俳優 柳生対馬守 / 阪東勝太郎
女優 お久(矢場の女中)/ 深水藤子

会社 日活京都撮影所
配給 日活
公開 1935年6月15日
上映 92分
国旗 日本
言語 日本語
費用
収入

 
 

 
 

本編を観るには・・・

関連 ~ 大河内傳次郎

 

参考・引用

丹下左膳余話 百萬両の壺 – Wikipedia
丹下左膳 – Wikipedia
カッコいい剣豪の話「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」。普段はダメだけど、やるときはやるから。|ドント・ウォーリー(11月中旬まで充電)|note
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更新履歴

2稿)2020年11月30日、シネマドローム
初出)2020年11月25日、シネマドローム
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