今度こそコロナ明け? 神田まつやに行きました。
案内
神田まつやの歴史
明治17年 福島家の初代 市蔵氏が創業。その後2代を経て、関東大震災後 小高家の初代 政吉が継承しました。2代目賢次郎はそばの製法技術を「魚藍坂の藪そば」の出身で後の大森梅屋敷藪そばの創業者 関谷作太郎氏に学びました。小高家3代目の登志は前述「蕎風会」にて「神田藪そば」の先代、「上野蓮玉庵」の先代、「神田錦町 更科」の先代等々老舗の錚々たる方々にそば打ちの技法並びに営業のノウハウを学び、その集大成が現在の「神田まつや」の姿と云えます。つけ汁は下町のなごりとも云える少し濃い目に仕上げてあります。因みに機械製麺を全部「手打ち」に切り替えたのは昭和38年のことでした。
風格もあり、一方、庶民的な雰囲気の店内
神田まつやの歴史を感じて頂けるように、店内は創業の香りを残しております。美味しく、そして気軽に食べて頂けるような雰囲気づくりを心がけております。
お席は約60ありますが、お陰様でいつも好評です。 比較的に空いているのは、午後3時から5時の間です。
神田まつやは、かつて、美食家としても名高い池波正太郎氏(小説家)に愛され、下駄履きで通って頂きました。壁にかかっている古いこね鉢や柱時計を見ていると、往時が偲ばれます。
地図
感想
緊急事態宣言が明け、蔓延防止対策も解除。その後も感染者数は50人以下(東京)が続いています。まぁ、いま私は在宅勤務。外に出るのは食材の買い出しぐらい。仕事もプライベートもモニターを見る毎日で、感染者が増えても影響は少ないのですが。代わりに段々、心と体が鈍ってきてて、そちらの方が問題です。
そんな時、S木さんからメッセージが。そろそろ日本そばが食べたいとのこと。そうだよね。また神田に飲みにでも行きますか、と言うことになりました。私の布教活動の最初の成果。S木さんも、すっかり「蕎麦屋での憩い」が気に入ったようです。
神田駅で待ち合わせ、二人とも時間通り。神田まつやに向かって、入れなかったら神田やぶへ行く計画。歩いてたら、S木さんのスマホに着信、来たがっていたS木くんも来れるとのこと。えっ!もう店の前にいるの? やる気満々だなぁ。
以前一度だけ来たことがある神田まつや。大晦日、年越し蕎麦のニュースで、よく中継されています。
やっぱり超有名店。宣言が明けたばかりでも席は満席に近いです。でも回転も早いので、今日は外で待つ人はいないという状況。真ん中奥の四人席に着席。
S木Aさん(会員No.1)は、日本酒からと言いますが、ビールから始めることに。
S木Bくん(会員No.2)は、三人目の子供が生まれたばかり。奥さんに怒られないの?
積もる話を少々。そうだ、つまみも注文しなければ。頼んだのはこんなところです。
外で飲むビール、なぜだ、やっぱり美味しい。なにが違うんだろう。瓶ビールなのに。でもつまみを考えると日本酒チョイスが正解。失礼しましたS木Aさん。
そう言えば、焼き鳥は「塩」を頼まなかったっけ。気が付いた時は、もう半分食べてました。肉付きがいい鶏。改めて「塩」を頼みました。
奥で蕎麦打ちの実演が始まりました。おかしいなぁ、ここは機械打ちじゃなかったか。
S木Aさんは、壁にかかっている十本の蕎麦打ち棒が気になるもよう。確かになぜ、そんなに種類が必要なのでしょう? 調べてみると、蕎麦打ち棒は、のし棒として使う時と、巻き棒として使う時があるもよう。それぞれ使う人や、打つ蕎麦生地の量によって、最適な長さや太さが決まるらしい。また木の種類で、特徴が出るとか。奥が深そうです。
そろそろ、〆かな。ざるそばで。
ちぎった海苔が新鮮、美味しい蕎麦です。飲んだ日本酒をやんわり納めてくれる感じ。幸せ、幸せ。時間もまだ9時前だし。
次回はどうしよう、三ヶ月後かな。と言うことになりました。といっても、たぶん半年後だろうなぁ。
おまけ
焼き鳥にかけた七味が美味しかったので、買って帰りました。まつやオリジナルのようです。イカ焼きにかけよっと。
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[公式] 神田まつや オフィシャルサイト
[一般] ★★★/神田まつや(淡路町)/ 裏メニュー | 夢酔亭主人のオムライス食日記
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