◆ 子供のころ思ったこと、大人になってわかったこと(なぜ勉強をするのか?)
● なぜ、勉強をしなければならないのだろう? 子供の頃、そう思ったことはありませんか? 眠い目で学校に向う時、夏休みの最終日、アニメの主人公がそう嘆いた時。親や先生に聞いても、これぞという答えが返ってくることはありません。「 子供は勉強するものだ 」という答えが一番まともに感じるほどでした。
● 小学生の高学年、中学生になると自分なりの答えを出していました。それは「 社会から選ばれるため 」。よい学校、よい会社。誰もが行きたいけれど、当然人数制限あり。社会は大勢の中から人を選ぶのにテストをするしか手立てがない(それが完璧なものでないとわかっていても)のであれば、将来役に立たないかもしれない勉強でもしなければならないと。少しでも上のランクに選ばれるために。
● 高校生になると少し考え方が変わります。「 これ(勉強)は頭の体操なんだ 」に。自分が将来どんな職業につくかは不明。でも何をするにしても頭の回転は早いほうがいい。記憶力に計算、創造力・・・。いろいろな角度から脳を鍛えるために、いま勉強をしているんだと。
大学になるとそれに「 できる喜びを知るため 」が加わります。自分がこういうことをしたいと思ったことを実現させるために調べ、試す。出来るかどうかさえ、わからないことを悶々と試した後に、出来たときの喜び。目的を遂げるための何をすればいいか考える勉強。実は今までの勉強の中でそれも学んでいたことに気付きました。
● そして社会人になってわかったこと。会社に入って実際に仕事をみてみると、会社固有のルール、顧客固有の対応に奔走。世界に発信するような仕事はまずありません。仕事の良し悪しも運やコミュニケーションの要素が加わり複雑に。・・・そうか。何のために勉強をするのか、それは「 忍耐力をつけるため 」。面倒くさいことを我慢強く処理する耐性をつけるためだったのか、そう悟りました。
なるほど、これは子供に説明するには難しい。
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◆ 更新記録 2015年12月27日 ~ 2016年1月2日
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◆ タイトルの言葉
● 良寛和尚の詩集より。正確にはこう。
花 無心にして 蝶を招き
蝶 無心にして 花を尋ね
花 開くとき 蝶来たり
蝶 来るとき 花開く
吾れも また知らず 知らずして 帝則に従う
● 花が咲く頃、蝶が生まれ、蝶は花に集まり、花は増えていく。こんな設計図、誰が書けるでしょうか。神様がいるかいないかは別にしても、この世界には大きな意志が働いていると考えるのが自然。帝則とは天則すなわち自然の法則の意味だそうです。
私がこういう言葉に惹かれることも、知らず知らずに帝則に従っての事なのかなぁ。