郷土の森公園の横、交通遊園。現役のゴーカートがある他、昔の機関車や都電、バス、消防車が余生を過ごしています。
今日は子供が全くいない、撮影チャンス。

郷土の森博物館、熱中症対策 – YouTube

  レポート

 
郷土の森は広い、広い。郷土の森博物館の他に、郷土の森公園。そしてこの交通遊園があります。もっとも、全部合わせても東京競馬場の4分の1程度ではありますが。

交通公園。傍らの屋根付きの車庫。ひっそりと眠りについているのはD51、デゴイチ。
今でも人気のある蒸気機関車です。

JRの前の国鉄、その前の鉄道省が設計したとか。千台以上生産されたそうです。さすがに走ってた頃は生まれてないので、懐かしいというより、珍しいものを見ると感覚です。
 

 
るからに【鉄】と言う感じ。(鉄じゃない?)。デゴイチ、重そうです。これで人を乗せて走るって、蒸気の力って凄いんだ。
なんだ坂、こんだ坂。時速何キロぐらいで走行していたんだろう? 

運転席は暗くてよくわかりませんでしたが、管がたくさんあるみたい。スチームパンクという言葉を思い出しました。

 

  案内 ~ D51

D51形蒸気機関車(D51がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。
主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない。
現場の機関士にも操作性の良さから人気があり「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。また、「デコイチ」という愛称もある。
1929年(昭和4年)に始まった世界恐慌、その影響で日本国内で発生した昭和恐慌により、1930年代前半の日本における鉄道輸送量は低下していた。そのため、恐慌発生以前に計画されていた貨物用の新形機関車の製造は中断されていた。その後、景気が好転して輸送量の回復傾向が顕著になってきたため、改めて新形の貨物用機関車が求められた。そこで1936年(昭和11年)から製造されたのが本形式である。C11形のボイラーで実用化された電気溶接技術を応用して製造され、当時の設計主任である島秀雄は「多くの形式の設計を手掛けた中でも、一番の会心作」として同形式を挙げている。

  地図 ~ 交通遊園

 

  リンク集(参考サイト)

交通遊園 東京都府中市ホームページ
交通遊園 〜府中市郷土の森公園〜 〜東京都府中市〜 | オデッソ

撮影年月:2021年08月
撮影場所:分倍河原
カメラ:Xperia Premium


[ 更新記録 ]

初稿)2021年08月17日、街角アイキャッチ