弁慶硯の井戸、3回目のレポートは動画です。

分倍河原、弁慶硯の井戸 – YouTube

  レポート

分倍河原の周りには、歴史を物語る遺跡が多いです。新田義貞の像、分倍河原古戦場碑、武蔵府中熊野神社古墳、そして、ここ高安寺の弁慶硯の井戸。
 
 

 
 
頼朝の怒りを買い、鎌倉に入れなかった義経。京都に戻る途中、高安寺に立ち寄ったと言います。この時、弁慶はこの井戸から水を汲み、墨をすり、大般若経を書き写したとか。

・・・ちょっと独特の雰囲気のある井戸。おわかりいただけたでしょうか?

  案内 ~ 高安寺

高安寺(こうあんじ)は、東京都府中市片町にある曹洞宗の寺院である。開基は室町幕府初代将軍足利尊氏であり、室町幕府によって武蔵国安国寺として位置づけられていた。なお、江戸時代初期までは臨済宗の寺院であった。寺の随所に古刹としての面影を残すなど、多摩地域を代表する寺院の一つである。
平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとされる。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経もこの寺に立ち寄って武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと言われている。
ここは武蔵国府の近くにあり国衙荒廃後にはここが重要拠点と見なされるようになり、南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構えている。これら一連の戦乱によって寺が炎上するなどして見性寺は荒廃してしまった。

 

  地図

 

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  リンク集(参考サイト)

髙安寺 | 府中観光協会
高安寺 – Wikipedia

撮影年月:2021年07月
撮影場所:分倍河原
カメラ:Xperia Premium


[ 更新記録 ]

初稿)2021年07月13日、街角アイキャッチ