いい写真を撮るには、いい写真を見ることから。個性あふれる昭和の写真家12人の被写体、構図、シャッタータイミングをどうぞ。

  木村伊兵衛(きむら いへい)

1901年12月12日 – 1974年5月31日

戦前・戦後を通じて活躍した日本を代表する著名な写真家の一人。

報道・宣伝写真やストリートスナップ、ポートレート、舞台写真などさまざまなジャンルにおいて数多くの傑作を残している。

特に同時代を生きた写真家、土門拳とはリアリズム写真において双璧をなす。

どうしたらうまく写真が撮れるのか聞いたところ、『いつでもカメラを手から離さずにいる事が大事だ』と答えた。

ニコンFの発表会に招かれての挨拶でも「私はライカがあればそれで充分です」と言って笑った。

ライカを特に好きになったのは『たまたま霞が関にやって来た飛行船の船長がライカカメラを持っていたから』

女性ポートレートの名手、演出のない自然な写真、ライカを使ったスナップショット、和製ブレッソン、ベランメェ口調、デッコマ・ヒッコマ論、ライカの神様、東京の下町生まれ、プレゼントされたオモチャのカメラ、LEICA I、一瞬を切り取る、木村伊兵衛写真賞

Google画像検索で 木村伊兵衛撮影 を探す。

 

参考)木村伊兵衛 – Wikipedia
参考)【木村伊兵衛写真賞】の木村伊兵衛が使用したカメラや作品・作風まで知り尽くす!

  三木淳(みき じゅん)

1919年(大正8年)9月14日 – 1992年(平成4年)2月22日

日本の写真家。

吉田茂の葉巻をくわえた姿のスナップなどを撮ったことで知られる報道写真家。

その作品は雑誌LIFEでも掲載され、日本の報道写真の基礎を築いた。

ニッコールクラブ会長、日本大学芸術学部教授、日本写真家協会会長、日本写真作家協会会長などを務めた。

1999年には彼の功績を讃え、「三木淳賞」(ニコンサロンで行われる35歳以下の公募展Juna 21の最優秀人物に与えられる)が設立された。

報道写真家、雑誌LIFE

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参考)三木淳 – Wikipedia
参考)もうすぐ「白梅忌」、恩師三木淳先生の思い出。 | 写真家・ノンフィクション作家「神立尚紀(こうだち・なおき)」のブログ ※禁無断転載

  大竹省二(おおたけ しょうじ)

1920年(大正9年)5月15日

日本の写真家。静岡県出身。

中学生の頃よりアサヒカメラなどのカメラ雑誌に写真の投稿を始め、コンテストへの入選を重ねる。

人物を撮影した写真が中心である。特に女優など女性のポートレート写真が多い。

1974年(昭和49年)松本清張原作の『砂の器』が映画化(監督・野村芳太郎、主演・加藤剛)された際に教授役で特別出演した。また、同じく松本清張原作の映画『わるいやつら』(監督・野村芳太郎、主演・松坂慶子)でも部長刑事役で特別出演した。

一流音楽家の連載写真

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参考)大竹省二 – Wikipedia
参考)大竹省二さんの写真展をみる | 写真ブログ(花・旅・生き物・庭の風景)
参考)〈カメラマンの名言〉おせば写る写真。プロにのこされたのは哲学―大竹省二 : 写楽=写真が好き。カメラが好き。

  秋山庄太郎(あきやま しょうたろう)

大正9年(1920年)6月8日 – 平成15年(2003年)1月16日

日本の写真家。

女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。

女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍くらい綺麗に撮って“少し満足”、ウソみたいに綺麗に撮るとやっと“ニッコリ”、なかなか感謝してもらえませんよ。」と話していた

パーレット、バルディ、ローライコード

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参考)秋山庄太郎 – Wikipedia
参考)秋山庄太郎写真芸術館
参考)秋山庄太郎さんとのこと | | 花見山公園

  林忠彦(はやし ただひこ)

大正7年(1918年)3月5日 – 平成2年(1990年)12月18日)

日本の写真家。山口県出身。

木村伊兵衛、土門拳などと並ぶ昭和を代表する写真家の一人である。

太平洋戦争後の日本の風俗や文士、風景など多岐にわたる写真を撮影した。

特に文士を撮影したものは有名で、銀座のバー「ルパン」で知り合った織田作之助・太宰治・坂口安吾の酒場での姿や、坂口安吾の紙屑に囲まれた仕事場の風景は、林忠彦の名を世に知らしめた。

織田作之助、太宰治、坂口安吾、写真は記録だ

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参考)林忠彦 – Wikipedia
参考)あの太宰の写真には”秘密”があった! 昭和を生きた写真家・林忠彦の展覧会が静かに話題を呼んでいます。 | News | Pen Online

  真継不二夫(まつぎ ふじお)

真継 不二夫(まつぎ ふじお、本名・藤三郎: 1903年9月10日-1984年6月11日)とは、日本の写真家。

人物写真、報道写真、風景写真からヌード写真まで幅広く活躍した。

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参考)真継不二夫 – Wikipedia

  早田雄二(はやた ゆうじ)

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参考)ー

  濱谷浩(はまや ひろし)

1915年3月28日 – 1999年3月6日 

日本の、戦前戦後を通じての写真家。

主として、報道写真系統の作品、特に、日本(人)を対象とする写真を多く撮影した。

東京都出身。田中雅夫(写真評論家)は兄。

デュークエイセスの 槇野義孝(まきの よしたか、1936年2月24日-)新潟県出身は甥 にあたる。

アワラの田植え、マグナム・フォトの日本人初となる寄稿写真家

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参考)濱谷浩 – Wikipedia
参考)Hiroshi Hamaya – A Chronicle of Grief and Anger (濱谷浩 怒りと悲しみの記録), Kawade Shobo Shinsha, 1960, Tokyo – photobooks josef chladek

  稲村隆正(いなむら たかまさ)

稲村 隆正(いなむら たかまさ、1923年2月22日 – 1989年8月8日[1])は日本の写真家。

ローライ

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参考)稲村隆正 – Wikipedia

  渡辺義雄(わたなべ よしお)

渡辺 義雄(わたなべ よしお、1907年4月21日 – 2000年7月21日)は写真家である。

戦前はライカなどの小型写真機を駆使したスナップ写真で著名となった。

「一回のシャッターに魂を込めろ」

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参考)渡辺義雄 – Wikipedia

  田村茂(たむら しげる)

1909年2月28日 – 1987年12月16日

北海道札幌市出身のの写真家。本名は田村寅重。

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参考)田村茂 – Wikipedia

  土門 拳(どもん けん)

1909年(明治42年)10月25日 – 1990年(平成2年)9月15日

昭和時代に活躍した日本の写真家。

社会的リアリズムに立脚する報道写真、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財を撮影し、第二次世界大戦後の日本を代表する写真家の一人とされる。

日本の写真界屈指の名文家としても知られた。

Google画像検索で 土門拳撮影 を探す。

屈指の名文家、リアリズム写真、月例土門、乞食写真、古寺巡礼、筑豊のこどもたち、骨董夜話


 

 

参考)土門拳 – Wikipedia
参考)ホーム | 山形県酒田市 土門拳記念館
参考)#146 土門拳作品集 – NAVER まとめ

  入江泰吉(いりえ たいきち)

1905年(明治38年)11月5日 – 1992年(平成4年)1月16日)

日本の写真家。

長兄から「ベスト・コダック・カメラ」を譲ってもらい、当時まだ新興芸術であった写真に目覚める。

1940年には朝日新聞社主催の「世界移動写真展」に組写真「春の文楽」を出品し、最高賞を受賞した。

主に大和路の風景、仏像、行事などの写真を撮り、高い評価を受けた。

大阪大空襲で家を焼失し、奈良に戻り夫婦で下宿暮らしをする。文楽の写真は奇跡的に残り、現存している。

入江の風景写真には、雨、雪、霧、雲などが効果的に写し込まれることが多く、しっとりとした情感にあふれているので、親友・杉本健吉にミスター・ウエット・イリエと評された。

弟子の写真家・矢野建彦も入江が特に雨や雪の日を好んで撮影していたことを証言する。

有名な「二上山暮色」を撮影したときには夕方になると毎日同じ場所に通い詰めた。11日目、撮影を終えかけていたとき、黒い雲が沸き始めると急に撮影を再開し、その雲が二上山の上に来たときにシャッターを切った。

入江はなかなかシャッターを切らなかった。土門拳が非常に多くシャッターを切るのと対照的であったという。例えば仏像を撮る場合でも、四時間でも五時間でも納得の行くまで仏像と相対し、「よし」、と思ったとき、たった一度シャッターを押すだけで写真を撮り終わったという。

白洲正子は「大野寺磨崖石仏への供花」に感動し、この写真を撮るために何年かかったかと尋ねた。入江泰吉はこともなげに「36~7年くらいでしょうか」と答えた。

薬師寺の高田好胤もふだんの入江と、撮影に取り組む入江の違いを見て「あんたはジキルとハイドみたいなみたいな二重面相の男やなぁ」とひやかしたという。

二上山暮色、斑鳩の里落陽、大野寺磨崖石仏への供花

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参考)入江泰吉 – Wikipedia
参考)入江泰吉 大和路(奈良)の「滅びの美」を写した写真家をご紹介します | ぷらりあーと | ぷらりあーと
参考)美の巨人たち、入江泰吉【斑鳩の里 落陽】


更新記録)
2019年03月23日
2017年09月30日