谷中銀座の隣、よみせ通りを歩きました。
( ※ 後日(3週間後)、撮影した写真も追加してます )
レポート
いつものように西日暮里で待ち合わせ。まだちょっと時間があるのは計画的行動。探検したことのないこの街を、ぶらぶらしようという気まぐれから。といっても30分しかありませんが。
m(^^)
今日は駅の西側を歩いてみよう。
道灌山通りを歩くとすぐに開成高校を発見。こんな近くにあったのか・・・。なにか中でドバタバしてるけど、なんだろう? 確かめる術もないので、そのまま歩きます。
(^^;
■ 開成高校 ■
■ もうすぐお昼 ■
■ 裏は道灌山遺跡 ■
■ 坂の街、東京 ■
アーケードに「よみせ通り商店街」の文字を発見。谷中銀座とは違うみたい。どれどれ。
■ よみせ通り商店街 ■
理容室、洋服(年配の女性向け)屋、文房具店、カラオケ。そしてお地蔵さん(延命地蔵尊)まで。どの店もコジンマリ、生活に密着した感じ。丸の内とは違う味わいが。でも逆に写真が取りにくい。
(--;
■ 昼間は静か? ■
ゆったり蛇行。ここはもともと藍染川という小川が流れていたそうです。大正9年に暗渠工事が施され、川を覆う通りには露店がたくさん並んだといいます。なるほど、それでよみせ通りなのか。
お肉屋さんの前に人だかり。何か焼いているもよう。簡単なベンチがあり、何人かがそこに座って食べています。気になりますが、先がもっと気になるのでそのまま先へ。外国人と年配者にまじり若い人も。明らかに地元の人ではありません。ここは観光地なのか・・・。
そのまま歩くと見たことのある場所へ。あの猫、三年前からずっと屋根の上か。なるほど、谷中銀座に合流したわけか。それでは引き返そう、チェックしたいのは2軒だなぁ。
まずはコシヅカハム。人が集まっていた肉屋さんです。焼いていたのはこれでした。
ケイジャンベーコン焼き、1串300円です。店の前で立ち食い。
ボリュームたっぷり。ほどよく焼けているのでサクサク嚙み切れ、肉汁がジュワ。これは人気があるわけです。前に食べたせんべいより、美味しい。次はコロッケを食べなくちゃ。
もう一軒は、谷中和楽や。和食器の店かな、ぐい呑みとか売っていないかな。さっき通った時は客が入っていましたが、いまは誰もいません。入ってみよう。
陶器や漆器、曲げわっぱとかが置いてあります。上品そうなご主人が
「どうぞ手に取ってごらんください」
と声をかけてくれました。こういう食器が似合う和食がほしいなぁ。それに今日はボディバックで来ちゃったし、それもカメラと財布でギュウギュウ。とても買って帰れないなぁ・・・というわけで冷やかしで終わってしまいました。すいません。
■ 谷中和楽や ■
そろそろ時間、西日暮里駅戻らなきゃ。
案内 ~
文京区千駄木と台東区谷中の区界にある商店街。
昔は駒込染井から上野不忍池まで、藍染川が流れていた。(谷戸川→藍(合)染め川→境川と名称は変わった)
大正9年10月に藍染川の案渠(あんきょ)工事が完成すると、その川の上も[よみせ通り]となった。道幅8メートルの立派な通りで、時代の流れと友に住人も多くなってくると、色々とお店が調い、安八百屋横丁(おかず横丁)が栄え、朝市が立ち、生活必需品が全て揃った便利な活気溢れる買い物通りとなった。
特に午後からは両側500メートルにわたり、露店が軒を並べて客を呼び、夕暮れ頃から大道芸人の口上が面白く人垣をつくり、下町風情たっぷりの楽しい、商いが競い合う通りとなった。当時は買い物客や冷やかし客でいっぱいの人の波で、歩くことすらもままならない程に栄えをみせていた。
賑やかさは夜の更ける迄続き、憩いの買物通りと評判になり、誰云うとなく露店(夜店)の並んだこの通りは「夜店通り」と呼ばれるようになった。その名は東京市(現・東京都)中に知られ、繁栄は一部戦災を被るまで続いた。
戦後は商店街の復興も早く、名物の露店も復活して人の通りも以前に戻った。それと同時に車の通行量も多く烈しくなって、相互通行では渋滞を呈し、一方通行に規制された。それでも緩和されず、歩行者の交通安全第一を優先と露店が禁止になってしまった。商店街名の[よみせ通り]の「よみせ」は、「夜店」の名残。
地図
リンク集(参考サイト)
【谷根千散策】今、よみせ通りが熱い! – NAVER まとめ(リンク切れ)
根津・千駄木エリア|加盟商店会一覧|文京区商店街連合会
撮影場所:西日暮里・千駄木
カメラ:Panasonic DMC-LX7
3稿)2022年01月13日、街角アイキャッチ
2稿)2016年08月13日、街角アイキャッチ
初稿)2016年08月04日、街角アイキャッチ