われ以外みなわが師、吉川英治か。
お坊さんがみな字が上手いわけではないらしい。
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案内
高安寺(こうあんじ)は、東京都府中市片町にある曹洞宗の寺院である。開基は室町幕府初代将軍足利尊氏であり、室町幕府によって武蔵国安国寺として位置づけられていた。
平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとされる。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経もこの寺に立ち寄って武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと言われている。ここは武蔵国府の近くにあり国衙荒廃後にはここが重要拠点と見なされるようになり、南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構えている。これら一連の戦乱によって寺が炎上するなどして見性寺は荒廃してしまった。
そこで暦応年間(北朝、1340年前後)に入ると、足利尊氏が建長寺の大徹禅師を開山として招き臨済宗の禅寺に改めて再興した。この際、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名された。これによって高安寺は室町幕府の保護を手厚く受けて、一時は塔頭10・末寺75と称されるほどの大寺院となった。
現在の本堂は寛永元年(1624年)に火災に遭い消失したものを享和3年(1803年)に再建したもの。本堂正面には「等持院」の扁額があり、これは開基となった足利尊氏の法嗣名である。明治5年(1872年)に建てられ左右に仁王像を配する山門、安政3年(1856年)に建てられた鐘楼と共に東京都選定歴史的建造物に選定されている。
地図
リンク集(参考サイト)
?御朱印?分倍河原の高安寺は地域にとって城のような存在だった – 酒とうどんと御朱印の日々
高安寺|府中市片町にある曹洞宗寺院
撮影場所:分倍河原
カメラ:Xperia Premium
初稿)2019年06月18日、街角アイキャッチ、東京つまみ食い