人形町から日本橋へ。途中に小さな郵便局が。でもここが郵便発祥の地らしい。
この人は誰? 飛脚と郵便とはつながりがないのか? 謎が謎を呼びます。
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案内 ~ 日本橋郵便局
当局は、明治4年3月1日(新暦換算:1871年4月20日)に近代郵便制度が始まった際、駅逓司(現在の総務省、日本郵政、及び日本電信電話の源流の一つにあたる機関)と郵便役所(東京中央郵便局の前身)が設置された地にあり、「郵便発祥の地」を記念する石碑と銘板、および、「日本近代郵便の父」として知られる前島密のブロンズ製胸像が設置されている。なお、石碑と前島の胸像は一体化した形で南西側通用口横に、銘板は北側利用者入口の壁にある。また、1985年(昭和60年)に刷新された当局の風景印には「郵便発祥の地」碑が図案として採り入れられた。
江戸幕府の魚類御用屋敷をほとんど改修することなく転用し続けていた最初の3年近くは、郵便事業向けに造られたわけでもなく、ひどく手狭で立て付けも悪いオンボロ屋敷での作業を強いられていたが、当局は、1873年(明治6年)12月になってようやく駅逓寮庁舎の大規模改築に着手し、明くる1874年(明治7年)の4月30日に完成を見た。
新庁舎は、木造瓦葺き漆喰仕上げ2階建ての擬洋風建築で、ファブルブランド舶来製の壁掛け時計を掲げた時計塔の時報も真新しく、バルコニーのある白く美麗な建築物であったことから、文明開化のシンボルとして注目を集め、錦絵や浮世絵名所絵に数多く描かれたり、夜にライトアップされるなどして、東京名所の一つに数えられるまでになった。かかる新庁舎を描いた絵画としては、3代目歌川広重の開化絵『東京開化名所 四日市郵便役所』(1875年〈明治8年〉刊行)などがある。しかし、1888年(明治21年)2月、東京府民や旅行者に愛された名建築は火事によって焼失し、わずか14年で姿を消してしまった。
現在、当局で使用されている風景印は、日本橋と「郵便発祥の地」碑(前島密像を含む)を図案化したもので、1985年(昭和60年)6月5日から使用されている。過去の風景印としては、橋柱の上に坐って東京市市章を持つ獅子像[* 4]を強調した日本橋をメインに据えながら上空間を走る首都高速道路を放射線のように描き込んだものがあり、1964年(昭和39年)8月1日から1985年(昭和60年)6月4日まで使用されていた。
地図 ~ 日本橋郵便局
リンク集(参考サイト)
日本橋郵便局 (東京都) – 日本郵政グループ
郵便発祥の地 – 発祥の地コレクション
郵便発祥の地/中央区日本橋
日本橋郵便局 | 中央区 今昔物語 | 地域密着型新聞らいふ
撮影場所:日本橋
カメラ:Panasonic DMC-LX7
初稿)2019年01月13日、街角アイキャッチ