念願でした、太陽の塔。2011年2月のレポート、べらぼーです。

万博記念公園

  レポート

年甲斐もなくワクワク。胸おどらせながら大阪モノレールに乗り込みます。
 


~ 出発進行 ~

 
うわぁ~、もうすぐ見れるんだ!!!
♪\(>∀<)/♪

あと4駅・・・! あと3駅!! 実物を見たのは2度ほど。一度は10年ほど前、突然の吹田出張の時。でも公園の開園時間に阻まれ、格子を握り遠巻きに見ただけ。あの時の悔しさは生涯忘れないでしょう。

その次はもっと悲惨。岡山経由で鳥取までドライブした時。高速を走っていたらいきなり顔を出されびっくり。でもドライバーは後ろを振り返ることが出来ず、あとは網膜の記憶をたどるだけ。

あぁ、あれから幾年月。
ついに目の当たりにすることが出来る。あと1駅!到着!!
 
まずは万博公園のホームから1枚。
 


~ ・・・で、で、でかい ~

  
あぁ、駄目だ。写真ではこの大きさが写らない。次は駅から公園までのなだらかな坂から。
 

~ 家の庭に飾りたい ~

 
そして、公園に入って一枚。
 

 
そいつはなんの遠慮もなしにデンとたっていました。
 

 
EXPO’70。私は万博を知る世代。いま思えば日本が一番輝いて時代。幸せな未来を夢見ることができた頃。私はまだ小学生。新しい家に引っ越したばかり。贅沢もせず、懸命に働く両親。とても大阪に行きたいなんて言い出せませんでした。大天井があったらどう見えたか。中にも入ってみたかったなぁ。
 
塔は柵で囲まれています。その回りを一周。
 

 

 

~ 最近、太りました? ~

 
 
ついでに、こんなのも
 
 

~ 柵に歴史あり ~

 

~ 継ぎ接ぎ、意外と工業製品 ~

 
 
おそらく万博の頃はまだ誰も生まれてなかっただろう家族連れ。インパクトの強さは伝わっているよう。なぜか一安心する私です。
 
最近また岡本太郎に注目が。私が興味を持ったのは2002年の頃から。山梨県立美術館で《 樹人 》を見てからの事です。他の抽象芸術は訳がわからないで終わり。でも岡本太郎のそれは、私の心の薇(ぜんまい)を回してくれます。同じく訳がわからない作品だとしてもです。
(^^;
 
表参道(岡本太郎記念館)へ行って、川崎(岡本太郎美術館)に行って。縄文式土器に感銘してたと聞けば上野の博物館に行って。そして遂に一番有名な作品、太陽の塔も目の当たりにできたか・・・。
 
 

 

べらぼうだと驚き、唯一無二だと感心する。

私も何かをしたい!と奮いたたせてくれるところは、やっぱり70年代。でも塔の回りをグルグル回って、最後に思ったことは・・・。手持ち無沙汰。

夢見ていた21世紀。でも結局出来上がったものはケータイぐらい。浮いて走る車も、宇宙旅行も駄目。タイムマシンなんて夢のまた夢です。。あちこち行き詰まってる2011年。すべてがもう考慮済、抜け出せない閉塞感。巻かれた薇のエネルギーのやり場は、もうありません。未だに私達の顔は太陽の塔のお腹の顔。口をひん曲げた現代の顔。金色に輝く未来の顔は、いつ訪れるというのでしょうか。
 
 


  
 

  案内 ~ 太陽の塔

太陽の塔(たいようのとう)は、1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO’70・大阪万博)の会場に、芸術家の岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物である。
岡本太郎の代表作の1つである。太陽の塔は、大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造され、万博終了後も引き続き万博記念公園に残された。
モデルは、岡本太郎が飼っていたカラス。
塔の高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m。未来を表す上部の黄金の顔(直径10.6m、目の直径2m)、現在を表す正面胴体部の太陽の顔(直径12m)、過去を表す背面に描かれた黒い太陽(直径8m)の3つの顔を持つ。
大手ゼネコン3社が手を組み、造船技術を用いて鉄骨鉄筋コンクリート構造で建設されているが、太陽の顔は軽量化のためガラス繊維強化プラスチックで造られている。制作はスーパーレジン工業(現:セブンドリーマーズ)。岡本はこの顔に特にこだわり、自身の手で削り修正を加え続けた。顔の表面の凹凸は創業者渡邊源雄のアイデアで、硬質ウレタンを粉砕したものを接着し表現している[2]。 赤い稲妻と黒い太陽のコロナはタイル製で平田タイルが制作。黒い太陽は陶板製で、岡本と小嶋太郎の共同制作となっている。
万博当時は、黄金の顔の目にはサーチライトのように光を放つキセノン投光器が取り付けられ、万博期間中は、博覧会協会が運輸省(現:国土交通省)に特別な許可を得て期間限定で点灯していた。
岡本は大屋根の下に万博のテーマを紹介する展示プロデューサーに就任していたが、就任以前からテーマである「人類の進歩と調和」に反発。そして先に設計が完成していた大屋根の模型を見るなり「70mだな」と呟き、穴の空いた大屋根から顔を出す太陽の塔を設計した。なお『当然ながら反発した丹下や部下に対し「頭を下げあって馴れ合うだけの調和なんて卑しい」という信念を曲げず大喧嘩した末に大屋根に穴を開けさせ太陽の塔を建てた』といった様な話が流布され有名であるが、平野暁臣によれば、丹下健三の権力を考えれば太陽の塔を白紙にすることは簡単であり、万博全体として見れば太陽の塔はあったほうが良いので白紙にはしなかった。そもそも二人は万博以前から関わりがありプロデューサーに推薦したのも丹下のため、太陽の塔が建ったのは丹下のおかげと語っている。
テーマ館サブプロデューサーであった小松左京(SF作家)が石原慎太郎の小説『太陽の季節』の中の障子を破る場面を連想し、それを聞いた岡本太郎が「太陽の〜」と命名したとの証言を、ノンフィクション作家の松浦晋也が小松から直接聞いたとして伝聞を記しているが、岡本がどのレベルで述べたのかについては熟考が必要である。


万博のテーマは「人類の進歩と調和」であり、戦後に高度成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本をアピールするイベントでもあった。しかし岡本は「何が進歩だ!ふざけるな!」という想いから、通常ならば笑顔や平和的なオブジェにするものをあえて睨みつけるようなおどろおどろしい作品に仕上げた。
「未来」を象徴する顔をいくつか作るも納得がいかず、戸籍上は養女である妻の岡本敏子が夕飯におでんを作っていたところ、おでんの蓋を見て「これだ!」と模型におでんの蓋をつけた。そのため、未来の顔は金色であり、少し内側に曲がっている。ちなみに妻の敏子はそれを見て驚くわけではなく「今日のおでんは味が染みなくなるわよ」と呆れたという。
「進歩と調和」がテーマであり、パビリオンにはあらゆる最先端の技術が置かれたが、結局残ったのは太陽の塔のみであり、最先端技術でも芸術は越えられないという象徴となっており、芸能界に太陽の塔及び岡本太郎のファンが多い。

  地図


 

  リンク集(参考サイト)

太陽の塔 – Wikipedia
岡本太郎 – Wikipedia
太陽の塔 | 万博記念公園
“2015年に公開決定→延期”芸術的すぎる「太陽の塔」の内部とは – NAVER まとめ
太陽の塔、その知られざる内部に潜入! 【禁断の扉が開く、そこで目にしたものとは.. 編】 | 関西のとっておき新発見を毎日comepass<コンパス>
♯♯♯http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1611/02/news065.html§§§「太陽の塔」内部の生物模型の中に“ロボット”がいた──その動く姿を入手した – ITmedia NEWS♭♭♭
太陽の塔~ともだちの塔に変身中!(写真&動画) – YouTube
 
 


■ イルミナイト万博 Xmas 2013 太陽の塔 ビームペインティング Tower of the Sun Beam Painting in EXPO Park Osaka Japan ■

 
 
  
  
 

撮影年月:2011年02月
撮影場所:大阪万博公園
カメラ:Panasonic DMC-FX33



[ 更新記録 ]

2稿)2017年09月11日、街角アイキャッチ
初稿)2011年03月27日、七人の見たもの