● 有名だけど行ったことのない所。葛飾柴又を撮り歩きました。

レポート

● 男はつらいよ、フーテンの寅さんで有名な柴又に行ってきました。駅前には早速、寅さんの銅像が。ちょっと小さくない? 目がちょっと寂しげ。出来の良い銅像です。

● 映画シリーズ、最終48作目は1995年の公開。あれから20年もの月日が経っています。映画を知らない人もいるだろうし、テキ屋とかフーテンって言葉も影をひそめた感じ。
でもこの街は昔のままのよう、ふらっと寅さんが歩いていそうです。そうとう歳はとっていそうですが・・・。

● 柴又は京成電鉄金町線の駅。常磐線金町駅と京成電鉄高砂駅を結ぶ金町線、そのただひとつの途中駅です。・・・金町線って3駅しかないのか。全線単線、車両は4両です。
Σ(゚д゚;) ヌオォ!?  
   
 

案内

● 柴又(しばまた)は、東京都葛飾区の地名。現行行政町名で柴又一丁目から柴又七丁目までが設置されている。2011年4月1日現在の人口は23,255人。

● 正倉院に残る養老5年(721年)「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に記されている「嶋俣里」(しままたのり)の比定地(推定される場所)である。男165人、女205人の42戸370人が居住していたという。以後「嶋俣」の地名は応永5年(1398年)の葛西御厨田数注文に至るまで文書に多数見受けられ、永禄2年(1559年)の小田原衆所領役帳において初めて「柴俣」(しばまた)が登場する。

● 近代に入り、南葛飾郡柴又村と号したが、貧しい村は小学校を作ることができなかったため、子供を金町小学校に通学させるために、ほどなくして同郡金町村と併合して同村の一字となった。1932年(昭和7年)、東京市に併合され葛飾区柴又町と名乗り、題経寺界隈を1丁目とし他2および3丁目を設けた。1967年(昭和42年)には住居表示の変更が行われ、同区新宿町4丁目の半部を併合。新域に柴又1-3丁目と町名を付し、旧町を同4-7丁目と改め今日に至っている。そのため、いまだに「柴又町内会」には柴又2丁目と3丁目は含まれておらず、別途「北野町内会」が組織されている。

● 柴又八幡神社の社殿下付近は「柴又八幡神社古墳」と呼ばれる古墳である。

地図


 

リンク集

柴又駅 – Wikipedia

 

撮影年月:2016年08月
撮影場所:葛飾柴又
カメラ:Nicon CoolPix S3700
Flickr:



[ 更新記録 ]

初稿)2016年08月16日、街角アイキャッチ