黒澤明
★ 生きる【粗筋・感想×9・蘊蓄×3】
1952年10月09日公開
【感想01】買い物に出ようと思ったら、NHK総合で放送されるのを発見。観出したら止まられず、最後まで観続けてしまいました。昼メシ食べ損ねた。
【感想02】30年ぶりぐらい前に1度鑑賞済。以前は「ハッピーバースデイ」が心に残りましたが、今回は「ゴンドラの唄」が沁みました。自分は死ななくてよかった。
【感想03】待合い室で他の患者から胃癌の時の医者の対応を聞く渡辺。そのままの説明を医者からされて。・・・笑えない、本当に胃潰瘍の時は何と説明?
【感想04】打ちひしがれて病院を出る渡辺。無音の中歩いていると、突然、周りの音が聞こえだします。心ここにあらず。癌とわかった時のショックの表現が巧み。
【感想05】飲み屋、同情した小説家と飲み歩く渡辺。新宿?銀座?六本木?凄い人々々。実は撮影所内にあったセット「東宝銀座」らしい。
【感想06】キャバレーでリクエストした「ゴンドラの唄」、ピアノに合わせ歌い出す渡辺。泣きます。最後にもう一度歌うシーン、今度は管弦楽。心境の変化が表れています。
【感想07】渡辺が、とよにプレゼントする靴下(ストッキング?)。昔はそんなに高価なものだったのか。息子が勘違いして、責め立てるシーン、そんなに驚かなくてもw
【感想08】為すべきことを見つけた渡辺、階段を下りていく彼を他の客が歌う「ハッピーバースディ」。そしてその後、すぐに渡辺の葬式。残り50分。巧いなぁ。
【感想09】渡辺の葬式、彼の最後の半年間が明らかに。陳情のおかみさん、同僚、助役、…。回想シーン中心に、警察官が最後の様子を明かす。本当巧いな。
【蘊蓄01】主演の志村喬は、撮影に入る前に盲腸の手術をして痩せていたが、黒澤に役柄としてそれくらい痩せていた方がよいから太らないように求められたため、志村はサウナに行って減量したという。志村が『ゴンドラの唄』を歌うシーンでは、黒澤から「この世のものとは思えないような声で歌ってほしい」と注文され、早坂文雄のピアノでレッスンを重ねた。
【蘊蓄02】作中に引用された『トウ・ヤング(英語版)』『カモナ・マイ・ハウス』など、アメリカのポップスの著作権をめぐってトラブルが起こり、1974年までリバイバル上映が出来なかった。
【蘊蓄03】 主なロケ地は東京都内で、野球場が新宿の東京生命球場、プラットホームが両国駅、アイススケート場が後楽園、遊園地が豊島園である。歓楽街は東宝スタジオにある銀座街のオープンセットを利用して撮影された。キャバレーのシーンでは、スタジオ内に新橋のキャバレー「ショウボート」を参考にしたセットを作り、本物のホステス250人を自前の衣装で出演させた。
(生きる (映画) – Wikipedia)
★ 用心棒【粗筋・感想×2・蘊蓄×5】
1961年04月25日公開
【感想01】手首を咥えた犬から、包丁投げまで。展開に無駄なし、迷いなし。三船敏郎の肩コキコキがかっこいい。まさに傑作です。
【感想02】たったひとりで6人斬り。修羅場をさらに散らかすと、外には土下座する2人。場面の切り替わりが秀逸。
【蘊蓄01】黒澤プロダクションは、1960年公開の『悪い奴ほどよく眠る』が興行的に失敗したため、次の作品では収益が見込めるヒット作を作らなければならなくなった。
(用心棒 – Wikipedia)
【蘊蓄02】本木の発言のように、本作の設定はダシール・ハメットのハードボイルド小説『血の収穫』を参考にしており、黒澤も「ほんとは断らなければいけないぐらい使ってるよね」と語【蘊蓄03】衣装デザインは黒澤自らが手がけ、仲代達矢演じる新田の卯之助にスコットランド製のマフラーを巻かせるなど、登場人物の造形を優先させている。
【蘊蓄04】宿場町のオープンセットでは、ヤクザの喧嘩を派手に描くため、道幅を江戸時代のそれより広くとっている 。
【蘊蓄05】そのセットに大量の砂を撒き、セスナのプロペラ1基を含む東宝の扇風機を総動員して風を起こし、西部劇のように空っ風が吹き、砂埃が舞う光景を作った。
っている。