2012年、丹波篠山を散策した時のレポート、最終話です。

上段の間

  レポート

腹ごしらえも済んだ。さて篠山城跡でも見に行くか。
この街、歴史的な価値がありそうな建物が道に普通にって、なおかつ現役。東京でも下町にもそんな民家がありますが、時代は昭和初期止まり。ここは大正、明治そして中には江戸時代を伺わせるものがあります。
  
 


篠山の街並み
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

  
 
空も、道も、空き地も広い。こういうところに済んでいれば性格だけでなく、気質まで変わりそうです。

城跡の近くには近代建築が。たんぼ田園公会堂? なんてパストラールな名前だ。

 


たんぼではなく、たんばでした(^^;
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

  
 
篠山城の歴史は。慶長14年(1609)、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が築いたそうです。豊臣氏の居城である大阪城の包囲、そして西日本の諸大名を押さえる拠点とするためだったとか。初代城主は松平康重、家康の実子だそうです。今は城はなく、再現された大書院があるだけ。大書院は藩の公式行事に使われた広間だそうです。
 
 

篠山城跡、全景
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

 
 

虎口
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

 
 
それほど大きな建物ではないので、10分程度で観覧終了。でもこの建物、木造住宅建築としては規模が大きい方らしい。京都二条城の本丸御殿に匹敵するとか。う~む。
もし江戸時代に今の建築技術があったら、権力者たちはどんな城を建てたのだろう?場所は選び放題、費用もかけ放題。どんなスーパーな城が出来るのか、興味深いです。もう一周しようっと。
 
 


ありがちなジオラマ
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

  
 

上段の間
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

 
 
特に感動はありませんでしたが、気が付いたことがひとつ。
この中は気持ちいい!
寒くても自分の家で暖房が効いてないのに比べて、なにかが違う。同じ木造建築なのになぜ。木が違う?構造が違う?広さが違う?違うのは風通しのような気がします。中の暖を逃がさず、空気は交換されているかんじ。不思議だ。もっとも外の空気もいいのだけれど。

続いて歴史美術館へ。あまり期待はできませんが、4館セット券を買ってしまったので。もう一館行けば元が取れる計算です。
 
  


歴史美術館
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

 
 
この建物自体に歴史を感じるなぁ。
 
 

鎧発見
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

 
 
昔の日本人は小さかったんだ。軽そうだけど、槍とか貫かれそうです。これは碁石かな。
 
 

オセロ?
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

 
 
ここもそれほど大きな建物ではありません。最後にあったのは裁判室。なぜ、ここに。
法廷はテレビドラマでしか見たことがありませんが、実際はこんな感じなんだ。
 
 

異義あり!
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

 
 
滅多に見れないであろう、裁判長Viewを堪能。Acroのカメラは明るいところだと色が飛んでしまうのが問題。
 
 

静粛に!
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

  
 
しかし、なんで突然裁判所?と思ったら、この建物はもともと裁判所だったそうです。なるほど。

最後は河原町妻入商家群へ。期待してましたが残念。平日だからかな、みんな閉まってます。
 
 


商家1
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

 
 

商家2
( Xperia Acro (SO-02C) で撮影 )

 
 
中に能楽資料館というのがありました。覗いてみると・・・。
驚いたことに柱という柱、空きスペースに撮影禁止の注意書き。ケータイを含め如何なる撮影も駄目と書いてあります。昔、トラブルでもあったのか?徹底しています。つまらない。日本の古典芸能のわびさびを写真で世界に発信しようと思ったのに。残念です。
館内を見てると、なにやら業者の人が。オフィシャルのホームページを作るのに撮影をするらしい。みんな宣伝(ホームページ)より、口コミ(ブログ)を見るのになぁ。

もう2時だ。そろそろ、帰ろう。今日は夜中の作業です。微妙だなぁ。ホテルに戻って眠ると、遅刻しちゃうかもしれないし、行くところもないし・・・。残りはどこで時間を潰そうか。

終り

  案内 ~ 篠山城

篠山城(ささやまじょう)は、兵庫県篠山市北新町にある日本の城跡(近世城郭)。篠山盆地の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城。国の史跡に指定されている。
1609年(慶長14年) – 徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに新城の築城を命じた。これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとするのが目的であったとされる。篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、藤堂高虎が縄張を担当した。普請総奉行を池田輝政が務め、15か国20の大名の助役による天下普請により6か月で完成した。
城周辺の整備がすすめられており、2000年(平成12年)4月には二の丸大書院(おおしょいん)が復元された。大書院は一般公開されている。
堀に不法投棄される自転車などのゴミや、増える外来種を駆除するために堀の水を抜いて作業するなどして水質を改善する活動が行われている。
縄張り ・・・ 城は内堀と外堀を有し、内堀内に本丸と二の丸を設ける。外堀の外周は1辺約400mのほぼ正方形で、東・北・南に馬出を設けていた。二の丸を囲む土塀は所々、屏風折りに外側に突き出しており狭間の死角を少なくする工夫がされていた。築城当初より天守台はあるが天守は建設されなかった。これは石垣や堀をはじめとする城の造りがあまりにも堅固すぎることを幕府が懸念したためと伝えられている。

  地図 ~ 篠山城


 

  リンク集(参考サイト)

篠山城 大書院|観光施設|丹波篠山篠山観光協会
歴史美術館
河原町妻入商家群 – 篠山市観光情報
 

撮影年月:2012年02月
撮影場所:丹波篠山
カメラ:Xperia Acro SO-02C


[ 更新記録 ]

2稿)2018年05月03日、街角アイキャッチ
初稿)2012年02月10日、一つ眼カメラ小僧