日本の学校教育発祥の地、湯島聖堂です。
レポート
初詣も無事終了。新御茶ノ水駅に戻ります。この辺に来るのは久しぶり。また大きなビルを建ててるぞ。
何だろう? 大学かなぁ。
謎の巨大建築、[iAUTO]
( PEN E-PL2 と M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 IISLV で撮影 )
交差点の信号待ち。湯島聖堂が目に留まります。前に一度見たことがあるような、あれは湯島天神だったかな。
湯島天神は菅原道真。でもこちら湯島聖堂は孔子。どちらも学問の神様、受験シーズンだから混んでるかな。
おさい銭をパラパラ。いつか東大に受かりますように。私は夢は老後、もう一度大学に行くことです。
中はどうなってるのかと目をやると200円の文字。あれ、ここは中に入れるんだ。
・・・やっぱり、来たことないかも。
聖堂の中には。
論語か・・・。ちょっと前に《 世直しバラエティー カンゴロンゴ 》という番組があったなぁ。
「義を見てせざるは勇なきなり」は論語なのか。ちょっと意外。
でかい鯱(しゃちほこ)だ。どんな屋根に付けてたんだろ。日本の城じゃ、潰れそうだぞ。
Kさんは杯(さかずき)とかを見て、三国志の世界だと喜んでました。こんな杯なんだ、徳利かと思った。
虎(?)の石像を見て、いろいろな様式が混じっているのが興味深いとも。人によって感想も様々だ。
次はどこに行こうかな。
案内
湯島聖堂(ゆしませいどう)は、東京都文京区湯島一丁目にある史跡。江戸時代の元禄3年(1690年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。
JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。
湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。特に、合格祈願の鉛筆を買っていく受験生の姿が多く見受けられる。
国の史跡に指定されている。
1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。翌1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。林家の学問所も当地に移転している。
大成院の建物は、当初朱塗りにして青緑に彩色されていたと言われているが、その後度々の火災によって焼失した上、幕府の実学重視への転換の影響を受けて再建も思うように出来ないままに荒廃していった。その後寛政異学の禁により聖堂の役目も見直され、1797年(寛政9年)林家の私塾が、林家の手を離れて幕府直轄の昌平坂学問所となる。これは「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれる。
「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名にもなった。これ以降、聖堂とは、湯島聖堂の中でも大成殿のみを指すようになる。また、2年後の1799年(寛政11年)には長年荒廃していた湯島聖堂の大改築が完成し、敷地面積は1万2千坪から1万6千坪余りとなり、大成殿の建物も水戸の孔子廟にならい創建時の2.5倍規模の黒塗りの建物に改められた。この大成殿は明治以降も残っていた。
地図
リンク集(参考サイト)
史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会
湯島聖堂 – 東京都文京区 – 日本の代表的な孔子廟 – 御茶ノ水駅2分 – 伝統の日本紀行
撮影場所:湯島聖堂
カメラ:OLYMPUS PenLite2 E-PL2
2稿)2018年02月04日、街角アイキャッチ
初稿)2012年01月14日、一つ眼カメラ小僧