これが見たくて、ここまで来ました。府中トロポサイト。

府中トロポサイト

  レポート

「首都圏住みたくない街」という本を買いました。住みたくない街以外にも東京の街が隅から隅までコメントされています。府中のページに写真で紹介されていたのは、府中競馬場でも大國魂神社でもなく、府中トロポサイトというパラボラアンテナ。・・・こんなところ知らないぞ!? もう行ってみるしかありません。
!(^^)!

東府中の駅から府中の森公園へ、航空自衛隊の敷地をぐるりと回り込み、民家を進みます。本当にあるのだろうか? 方向感覚だけが頼り。・・・すでに解体されていないことを祈ります。そして突然現れた府中トロポサイト。慈恵院の先のアパートから金網越しに見ることができました。
 
 


 
 
北北東を向いた巨大パラボラアンテナ2機。北北東って、やっぱりソ連とか北朝鮮かな。府中トロポサイトはもともと米軍の施設。今は日本に返還されているようですが、立ち入りは禁止。もっと近くで見てみたいものですが・・・。 
  
 

 
 

  案内 ~ 府中通信施設

府中通信施設(ふちゅうつうしんしせつ、 Fuchu Communications Station、施設番号:FAC 3016)は、東京都府中市浅間町にあるアメリカ第5空軍第374空輸航空団が管理する在日米軍通信施設。
最盛期には本施設に勤務する軍人・軍属が約2,300人、日本人従業員が約1,400人に及んでいたとされ、南側に設けられていたヘリパッド(現・府中の森芸術劇場付近)にヘリコプターが発着する際の騒音や、関東平野の在日米軍マイクロウェーブ通信網が1960年代中盤から484N-Bシステムに改良された際に新設されたマイクロウェーブ塔からの影響によるテレビ受信障害が問題化していた。
1973年(昭和48年)1月、第14回日米安全保障協議委員会で合意された「関東平野空軍施設整理統合計画(KPCP: 通称・関東計画)」により、府中空軍施設は通信施設等を除き、その大部分が向こう3年以内に返還されることが決定、これに基づいて1974年(昭和49年)11月、在日米軍司令部及び第5空軍司令部が横田飛行場(東京都福生市)に移転した。
返還跡地内にある2基の対流圏散乱波通信(Tropospheric Scatter:トロポスキャッター)用の大型パラボラアンテナとその関連施設は府中トロポサイトの名でも知られている。この施設は1950年代末から1960年代前半にかけて日本列島を縦断する在日米軍の通信網が整備された際に設置されたもので、アンテナの直径は45フィート(約14m)あり、北北東方向に向けられている。
この対流圏散乱波通信システム(Japan Troposcatter System, JTS)はDCS(Defense Communications System, 国防通信システム)というアメリカ国防総省の複合通信システムの一部を構成していたもので、日本国内の遠距離通信を行う際に使われた。
1982年(昭和57年)7月1日の日米合同委員会では移転完了後に府中のパラボラアンテナ部分とキャンプ・ドレイクのノースキャンプ残部を返還することが合意され、横田に約76,000平方フィート、府中に約6,700平方フィートの建物をそれぞれ新設・追加提供するほか、主要通信回線への接続機能と一次予備電源システムをこれらの新しい施設に提供し、さらに府中で運用されていた民間広帯域回線との相互接続機能を横田へ再配置することが条件として盛り込まれた。
現在、パラボラアンテナ部分の跡地は国有財産中央審議会から大蔵大臣(当時)あてに答申された「米軍提供財産の返還後の利用に関する基本方針について(三分割答申)」に基づき処分留保地(立入禁止)となり、国立医薬品食品衛生研究所の移転により周辺の残存施設とともに解体撤去される予定だった。しかし2012年(平成24年)9月に、都市計画等の手続きの見通しが立たないことを理由に移転先が川崎市に変更され、それに伴い利用計画の見直しが進められている。

  地図


 

  リンク集(参考サイト)

廃墟 府中トロポサイト 遺構調査機構
【東京の廃墟】府中トロポサイト・府中通信施設跡地・府中米軍基地跡 – よっちーの小屋
『ニッポン奇界遺産の旅―東京都府中市米軍基地跡(府中トロポサイト跡)を行く』国立・府中・稲城(東京)の旅行記・ブログ by ハイペリオンさん【フォートラベル】
東京・府中の巨大パラボラアンテナを見納めてから偉人の墓参りをキメる – ココロ社
 

撮影年月:2017年12月
撮影場所:東府中
カメラ:Nicon CoolPix S3700



[ 更新記録 ]

初稿)2018年01月02日、街角アイキャッチ