吉良邸跡、昔来た時より、展示が増えています。
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レポート
せっかく両国まで来たので、あそこに寄って行こうっと。もう十数年前に訪れた場所、あの時は写真撮らなかったからなぁ。
前回来た時は随分と迷った記憶が、でも今回は迷わず到着。江戸東京博物館の駅を跨いだ反対側、回向院近く。前来たときは何の案内もなかったけど・・・。
吉良邸跡地。忠臣蔵の敵役、吉良上野介邸の跡地です。上野介(こうずけのすけ)なのに両国に住んでいたとは。
江戸時代の昔から美談として伝えられていた忠臣蔵。上野介名君説や、47士テロリスト説が登場。むしろ被害者と養護されている吉良。切った爪を集めてたり、辺り構わず爆弾を仕掛けたりしなければ大丈夫です。
(--;
見えているこれがすべて。吉良屋敷はもっと大きかったのでしょうが、残っているのはこれだけのようです。明治維新があって、日本が戦争に負けて。土地を切り売りせざるを得なかったのでしょうか?
中に入るとこんなものが。
みしるし洗いの井戸。いきなりスプラッター。夜来たら貞子でも出てきそうです。
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その隣には、やけに血色の良い吉良上野介が。
温厚な顔のような、意地悪そうな。きっと、どちらにも見えるようにデザインされているに違いない。
それにしても、300年後の未来でも弄(いじ)られ続けるなんて、歴史的人物って辛いなぁ。
案内 ~ 本所松坂町公園
本所松坂町公園 (ほんじょまつざかちょうこうえん)は、東京都墨田区両国にある区立公園。赤穂事件で有名な吉良義央の邸宅があったところで、赤穂浪士によって討ち入りを決行された現場である(本所松坂町は当地の旧名)。
一般にある児童公園の類と違い、遊具などはない。約98平方メートル(29.5坪)の敷地に稲荷社や井戸、桜の木などがある程度で、むしろ記念広場に近い。
元禄時代の当時は付近の一帯が吉良義央の邸宅であり、その広さは約8400平方メートル(2550坪)と推算されているから、その広さをうかがうことができる。邸宅は、赤穂浪士による討ち入りの後は江戸幕府に没収され、その後住宅などが立ち並び、往時の吉良邸を偲ばせるものはなにもなかったが、昭和9年(1934年)に地元の有志らが旧邸内の「吉良の首洗い井戸」を中心に土地を購入して東京市に寄贈し、翌昭和10年(1935年)に公園として開かれたのが始まりである。昭和25年(1950年)に墨田区へ移管された。
普段は住宅街のなかにあるので閑散としているが、地域主催の義士祭(12月14日)が行われる際は多数の出店などがあり、近隣だけではなく全国から多くの観光客で賑わいを見せる。また、当地には斬られ役でもある義央を偲び、公園内にある稲荷社、松坂稲荷に参拝に来るものも少なくない。
地図
リンク集(参考サイト)
本所松坂町公園 – Wikipedia
本所松坂町公園(両国三丁目13番9号):墨田区公式ウェブサイト
撮影場所:両国
カメラ:Panasonic DMC-LX7
初稿)2017年12月30日、街角アイキャッチ