門前仲町駅から数分、墨田川にかかる永代橋。これなら絶対大丈夫というぐらい太い鉄骨でできたアーチ型。リバーシブルレーンを含む5車線の永代通りには車が絶えることがありません。
川に沿い続く遊歩道はコンクリートで固められ、あちこちにベンチや休憩所が数ある橋と共存、永代橋の下も潜(くぐ)り続きます。
案内
[ 案内 ]
隅田川にかかる橋。日本初の道路鉄橋
橋長/184.7m、幅員/25.0m
着工/1923年(大正13年)12月、竣工/1926年(大正15年)12月20日[ 歴史 ]
5代将軍徳川綱吉の50歳を祝し、元禄11年(1698年)8月架橋される。隅田川で四番目に架けられた橋である。関東郡代の伊奈忠順は架橋の際、上野寛永寺根本中堂造営の余材を用いた。
《 永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼 》
文化4年(1807年)年8月19日、深川富岡八幡宮の祭礼日に詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず落橋。群衆は前へ前へと押していき、中央に達すると河に転落、最後の人間は濡れなかった。
武士が一人危機を察し、欄干に捕まり大刀を抜き振り回したため、群衆は後ずさり、その後は人が落ちなかった。しかし死者は1500人を超え、史上最悪の落橋事故と言われている。
関東大震災に被災、木製の橋床を損傷。震災復興事業の第一号として現在の橋が再架橋された。
「帝都東京の門」と言われたこの橋は、ドイツ ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋がモデル。
[ 蘊蓄 ]
初代は徳川綱吉の生母、桂昌院の発案で架けられた。
初代は木造橋で、現在より150mほど上流にあった。
1807年、鶴岡八幡宮の参拝客の重さに耐えきれず崩落した。死者は800人。
「永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」と詠まれた。
現在の永代橋は関東大震災後、帝都復興局によって架け替えられた鉄鋼橋。
軍艦用の高級鋼材デュコール鋼を世界で初めて橋に使用した。
ドイツの ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにしている。
鋼バランスドタイドアーチ橋。
平成19年に国の重要文化財に指定された。
地図
リンク集(参考サイト)
永代橋|江東区
永代橋 – Wikipedia
東京の橋 100選+100 ( 都政新報社 )紅林章央
撮影場所:永代橋
カメラ:Panasonic DMC-FX07
3稿)2018年11月18日、街角アイキャッチ
2稿)2015年10月01日、街角アイキャッチ
初稿)2007年11月19日、東京つまみ食い