1979年(昭和59年)1月26日(金)発生。
午後2時30分ごろ、黒づくめの男が銀行に訪れ、「伏せろ!伏せろ!」と叫んだあと、天井に向けて猟銃を2発発砲。現金5000蔓延を要求した。42時間の人質事件の始まりとなった。
住吉警察署警ら係長であった楠本正剛正己警部補はパトロール中、知らせを受けて現場に向かった。警部補は猟銃を捨てるように梅川に要求、拳銃を向けたが、犯人はひるむもことなく警部補に発砲。胸と顔を撃たれた警部補は絶命した。
梅川は人質を集めると一人一人に自己紹介させた。彼は記憶力がよく、人質39人の顔と名前を憶えていた。長年の接客業で身に着けた能力だった。
行内に残されたのは行員31人と客12人。梅川は泣き続ける5歳の男の子に近づくと「ボク、立てや」と声をかけ、そのまま、解放した。
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