1962年(昭和37年)5月3日(木)発生
国鉄 常磐線三河島駅で発生した列車脱線多重衝突事故。 「国鉄戦後五大事故」の一つ。 死者160人、負傷者296人
第1事故。第287貨物列車は停止信号を見落とし、オーバーラン。安全側線に進入脱線、下り本線側に傾斜する状態で停車
第2事故。下り第2117H列車が第287貨物列車に時速40kmで衝突。前2両が上り線を支障する形で脱線・停止。乗客は車掌によって開けられたドアから上り線側に降り、三河島駅に向って線路上を歩き始めた
第3事故。上り2000H列車が線路を歩く乗客を撥ねつつ、下り2117H列車へ衝突
この事故を機に自動列車停止装置(ATS) が国鉄全線に設置された
9名が業務上過失致死傷罪などで起訴
未だに身元不明の犠牲者が一人いる
人気漫才コンビのクリトモ一休も犠牲に。相方クリトモ三休は春日三球として再起、妻と「春日三球・照代」として活躍した
[ 1962年選 ]