鼠小僧の墓は2つあります。
レポート
ついでのついでに回向院へ。以前来た時と大きく変わっているような、まったく違う場所に来ているようなのは気のせい? 写真がないのでわかりません。記憶力がいい人がうらやましい。まず最初に目に入ったのは、力塚。相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀る塚だそうです。
回向院と相撲の関係は・・・。1781年、回向院の境内で勧進相撲の興行が行われ、それが大相撲の起源になったそうです。その後長い間回向院で行われていたので、両国に国技館がつくられたとのこと。そうなんだ。それにしてもこんなに大きな石、さすがに力士が何人いても運べ無さそうです。
次は鼠小僧の墓。鼠小僧が実際にいたとは驚き。それに墓はここだけでなく、南千住の回向院にもあります。網がかかっていたのは南千住の方だったかなぁ。
墓石の手前にあるのは「お前立ち」。実は鼠小僧の墓石は合格祈願のお守り、どんな試験も「するりと抜ける」からだそうです。でも本当に墓石を削られると困るので、その代わりに削ってもらう「お前立ち」を寺が用意しているもよう。義賊なのに、墓を盗まれ続けるとは因果だなぁ。
最後は猫の墓。「猫塚」「唐犬八之塚」「オットセイ供養塔」「犬猫供養塔」「小鳥供養塔」、「犬猫供養塔」・・・。回向院にはペットの墓がたくさんあります。
なぜオットセイも、ここで供養するのか不思議ですが・・・。
(^_^;)
※ むかし、回向院ではオットセイなどの動物を見世物にしていただからだそうです。
案内 ~ 回向院
回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院。
東京都墨田区両国二丁目にある寺。山号は諸宗山。正称は諸宗山(一時期、国豊山と称す)無縁寺回向院。墨田区本所地域内に所在していることから「本所回向院」とも呼ばれている。
振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火(1657年(明暦3年))の焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬する。
あらゆる宗派だけでなく人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、軍用犬・軍馬慰霊碑や「猫塚」「唐犬八之塚」「オットセイ供養塔」「犬猫供養塔」「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」(三味線の革の供養)など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑、ペットの墓も多数ある。江戸三十三箇所観音参りの第4番札所であり、この馬頭観世音菩薩も徳川家綱の愛馬を供養したことに由来している。
1793年(寛政5年)、老中・松平定信の命によって造立された「水子塚」は、水子供養の発祥とされている。2月第一土曜日14時から水子塚の前にて水子総供養を、その他は隔月毎に本堂にて水子供養を行っている。
著名人の墓として、山東京伝、竹本義太夫、鼠小僧次郎吉など。
参拝客のために両国橋が架けられた。
1781年(天明元年)以降には、境内で勧進相撲が興行された。これが今日の大相撲の起源となり、1909年(明治42年)旧両国国技館が建てられるに至った。国技館建設までの時代の相撲を指して「回向院相撲」と呼ぶこともある。
1936年(昭和11年)1月には大日本相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」を建立した。
地図
リンク集(参考サイト)
回向院 | 歴史の中で庶民と共に歩んできたお寺
回向院の力塚 – 奈良の宿大正楼
ねずみ小僧のお墓を削って合格祈願! – Excite Bit コネタ
振袖火事と動物供養の両国「回向院」 – 室内飼い猫 育児ざんまい
撮影場所:両国
カメラ:Panasonic DMC-LX7
初稿)2017年12月30日、街角アイキャッチ